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評者◆秋竜山
シモのおはなし、の巻
No.3552 ・ 2022年07月23日




■私はひとなみに屁もする。だからといって食事のさいちゅうにしたことはない。ひとなみにといっても、しないひともいる。だから撤回するが、いつも私のそばにくっついている女房がそのつどいやな顔をする。いやな顔をさせて烈火のごとく怒るのである。
 そのつど私は言う。そんないやならはなれたところにいろ……と、ね。「あたりまえよ!! あなたといっしょにいられないわ」と、女房はいうものの、それでいて、いつもくっついているのである。女房の怒るのもむりないことで、私の屁は特別にくさいというのである。屁のくさいのは有史以来そうに決まっている。原始人の屁はくさくなくて、現代人の屁はくさいというわけでもない。そもそも屁というものは、くさいと神がきめているものである。「私の屁のくさいのは、お前がおいしいものをたべさせるからだ」。女房がいう。「そーかもしれないわね」。おいしいものを食べると屁はくさくて、まずいものを食べると、くさくないということもあるまい。そして私の屁に対して文句ばかりいう女房の屁は、私の屁よりもくさくてたえられないとにげだしたくなるのである。しかし、よく考えてみると、結婚したばかりの頃はお互いに屁について、くさいなどといったことはなかった。いや、お互いの屁にいとおしさをもっていたのであった。お互いに笑いあうこともなかった。
 昔から一人ものが誰もいないところで屁をしても笑ったりはしなかった。「ブッ」と、やらかしても、平気でむとんちゃくである。一人で自分の屁を「アハハハ」と笑ったりするほうがどうかしているのである。ところが他人の一人ものの屁を笑うのである。屁はくさい。くさくて逃げ出したくなる。
 ところで私は動物の屁の音を今まで聞いたことがない。ネコや、うさぎが「ブッ」と、やらかすだろうか。しかしながら屁の音を聞いたことはないが、ネコやうさぎは、りっぱなウンコをする。しかし、ハナをつまみたくなるような、くささである。庭の草とりなどをしていると、ネコなどがいたるところへウンコをしてある。そんな話を近所のおばさんとすると、「アラ、うちのネコはウンコをちゃんと庭に穴をほってその穴の中へしているわよ」と、いった。そして、「ネコはしつけさえすれば庭へ穴をほってするわよ」と、いった。「そのてん、人間の赤んぼうよりも、りこうだわよ。ネコはしつけすればりっぱにするが、人間の赤ちゃんは、いくらしつけしても、ウンコをしてしまうわね」と、いった。ネコは、土に穴をほってウンコして、その穴を自分で土をかぶせるのである。しつけさえすれば、そういうこともするのに人間の赤ちゃんはいくら言ってきかせても、ウンコをしてしまうのだ。と、いって笑いあったのだった。
 谷泰『笑いの本地、笑いの本願――無知の知のコミュニケーション』(以文社、本体二八〇〇円)では、
 〈ただもし笑いの生起条件が、もしそれだけの記述にとどまるならば、それはたんなる驚きにおいても見いだせる経験でもあり、両者の差異が記述できたことにならない〉(本書より)
 人間の赤ちゃんもネコも、たんに驚かされるのである。そして、笑ってしまうのである。







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