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評者◆稲賀繁美
寓意としての疫病・永劫の苦しみから芽生える、孤独なる魂の連帯――やぶにらみ比較文学・妄想系連鎖反応のたわむれ―アルベール・カミュ再読
No.3524 ・ 2021年12月18日




■パンデミックの余波か、疫病を描いた文学作品が復活をはたしている。ダニエル・デフォーの『ペスト』(1722)は奇しくも発刊三百年を迎え、アルベール・カミュの『ペスト』(1947)は三野博司氏による新訳が世に問われた。両者のあいだに詩人のシャルル・ボードレールを挟むと、それまで不可視だった脈絡が浮かび上がる。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』はボードレールの散文詩「夕べの薄明」や「孤独」に影を落としており、さらに「往く雲」を愛する「謎の人」homme enigmatiqueと問答する散文詩「異邦人」etrangerは、そのままカミュの小説『異邦人』の題名となるからだ。そのカミュの『ペスト』冒頭のエピグラフは(『疫病流行記』ではなく)『ロビンソン・クルーソー』第3部から取られており、3人の文人の、時代を超えた呼応や共鳴が見えてくる。
 カミュの『ペスト』はアルジェリアのオランを舞台に疫病流行に直面した人間模様を描く。だが実際には不条理に抗する倫理を問う寓意小説であり、その裏にはドイツ占領下での対独協力とそれへの戦後の粛清が控えていた。ペストによる「監禁状態」(デフォー)とはナチス・ドイツの暗喩だった。正義の貫徹に暴力が不可避だからといって、それで暴力を正当化することはできない。だが屈服か抵抗かの二者択一が功を奏せぬなかで、粛清も助命嘆願もともに事態解決には結びつかず、浄化や隔離の断行も蔓延放置も、ともに正義に悖る。加害と被害と、救済と弾圧とが癒着した現場に選択はあるのか。積極策の介入が無効となれば、残る手段は消極的な退却や自己犠牲となる。
 ここで戦時下にシンガポ
ールで宣撫工作に従事した鶴見俊輔の言葉が思い出される。人を殺せと命じられたら自分の命を断つ、と。鶴見にとっては、自裁だけが良心的兵役拒否に残された、最後の選択だった。
 一方、『異邦人』初訳(窪田啓作訳)掲載の『新潮』1951年6月号には、J.P.サルトルによる批評とともに阿部知二(良雄の父)と小林秀雄の評論が併載され、また前年の学生ストを憂慮する竹山道雄の時評が見える。その『異邦人』への批評で、サルトルはこう述べる。この小説を解く鍵は、カミュの続く『シジュポスの神話』に読める、と。
 ギリシア神話に登場するこの人物は天罰を受け、谷底の巨岩を山の頂きまで押し上げる責苦を負わされる。だが山頂に達した巨岩は、非情にも谷底に転落する。こうしてシジュポスは永劫反復の無益な徒労を繰り返す。だが、とカミュは切り返す――この不条理極まる永劫の罰に賭けるのが、人間存在の実存たる所以にあらずや……。
 カミュのこの神話再解釈は、日本人の哲学者、九鬼周造がそれに先立ち、ブルゴーニュはポンティニーの会議で開陳していたシジュポス解釈に酷似する。すでに杉本秀太郎ほかの何人もの論者が指摘している事実だが、九鬼はその「東洋的時間論」で、おそらくは楠木正成の「七生報国」を念頭に置き、死を賭した輪廻転生にこそ、被造物の幸福があると、解釈を転倒させていた。やがて『存在と無』を世に問うサルトルは、他ならぬ九鬼男爵の、戦前のパリ時代の若き家庭教師。アルジェ時代のカミュが師のジャン・グルニエほかを通じて、九鬼のフランス語著作に接する機会を得ていた蓋然性もまた浮上してくる――。
 ここまでくれば、どうだろう。死刑を宣告された『異邦人』の語り手や、制圧の勝算なき疫病医療の現場に立つ医師に、関東大震災という災厄からの帝都復興を「死後の再生」として寿いだ日本の哲学者の影を垣間見ることも、もはや強ち無理な相談ではないだろう。
 「孤独」solitaireこそが「連帯」solidaireを約束する。それがノーベル賞受賞で寵児となったカミュ晩年の希望だった。『反抗する人間』homme revolteには、南海の孤島での「孤独」、「往く雲」に身を委ねる異邦人の面影が、重ね合わせに幻視される。その漂泊の姿には、全球的な植民と搾取、甘美な「旅への誘い」とも裏腹な伝染病蔓延の災厄という背景が控えていたはずだ。『ロビンソン・クルーソー』に対するには夙にミッシェル・トゥルニエの『金曜日』(1967、榊原晃三訳:1982)、『異邦人』で殺された無名のアラブ人の側から事件を洗い直した作品には、カメル・ダーウドの『もうひとつの『異邦人』――ムルソー再調査』(鵜戸聡訳、水声社、2019)。合わせ鏡の両面対峙から、「まつろえぬ者ども」の連帯がここに結節する。――「死」という「無」を否定的な媒介として。

*日本比較文学会・関西支部大会におけるシンポジウム「パンデミックの時代における恐怖、孤独、そして連帯』2021年11月13日・オンライン開催)に取材した。貴重な話題を提供された、ゲストの三野博司、会員の仙波豊、司会・統括の北村卓の三氏に謝意を表す。なお、「妄想系連鎖」の「やぶにらみ」はあくまで本稿執筆者の責任に帰し、記載の情報は刊行物記載の範囲に限ったことをお断りする。







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