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評者◆凪一木
その96 ふざけるんじゃねえよ。
No.3497 ・ 2021年05月29日




■頭脳警察に、『ふざけるんじゃねえよ』という歌がある。
 全共闘でも赤軍でも、あの頃に、なぜ見通しの無い闘いに、武装という分の悪い戦術に、頭も悪くないのに、無計画に飛び込んでいったのか。権力側の方は一気に一〇〇人単位で逮捕することが出来て、反体制側は、逮捕者のたった一人の奪還ですら、全く割に合わない犠牲と労力をかけて、結局はさらなる無様な結末となっていく。だが、それでも、その闘いに足を踏み入れた若者たちがいた。ロマンチックに語っているのではなく、止むにやまれぬ義憤のようなものがあった。誰かを背負っていた。社会的に、親を含めた大人が強すぎて、弱い者が追い詰められていたからだ。だから、一番社会的制約から免れていた、知識はあって世間知らずの「大学生」という当時進学率一〇%台のエリート階級のなかから、その反逆なり、無鉄砲な闘争は始まった。その気分が、「ふざけるんじゃねえよ」であり、今の私もまた、その気分をこの年齢(五八)にして、味わっている。
 今日は三月二九日だ。
 朝礼で、二つ年下の「中卒(最終学歴中学校)だけど何か」が売り文句のパワハラ男に、いきなりこう言われる。
 「皆も知っての通り、四月一日から、八時半出勤となるのでよろしく」
 ふざけるんじゃねえよ。少なくとも私と新人の「設備の三島由紀夫」は、初めて所長の口から聞いた。今は九時半出勤だ。一時間早まるという。理由を言わない。いや、だいたい知ってはいる。パワハラ上司の自己都合なのだ。一つは、自分の休みを取る日に、八時半から九時半まで現場の「設備責任者」が不在になり、オーナー会社からクレームが来たことだ。
 もう一つは、設備員(私も含めた五人)の日勤者の帰りが自分と同じ夕方五時半となって、一緒に酒を飲みに行くためだ。実にくだらない理由だ。
 とはいえ、食事時間を含め、時間配分が何時なのかも示されておらず、いったい、どうするつもりなのか。場当たり的に、「適当に休憩とれよ」という展開になりそうだ。
 これが友好的な関係の男なら、「大人げないなあ」「しょうがないなあ」「可愛いところもあるなあ」ぐらいで済まされているものであろう。現に、友好的でもないのに、私以外の全員が、「仕方ない」と諦めている。「抵抗したって、無理だろう。下手に動くと、かえって現場に勤務しづらくなる。会社を辞める羽目になるかもしれない」。
 だけど、こういうことが、日本のカイシャというところでは、この二〇二一年のコロナの時代に許されるのか。
 ふざけるんじゃねえよ。強姦でも、虐待でも、毒親でも、北九州監禁殺人でも、足立区綾瀬コンクリート事件でも、名古屋アベック殺人でも何でもいいが、屈辱、恥辱を味わわされることがある。一方で加害側を考えると、同情の余地がある人間がいたとしても、いったいなぜにしてこんな「悪人」が出来上がるのかと絶望的な気持ちになる。
 ところで、自分自身を考えてみると、強姦とはこんなことではないか。虐待とはこんなことではないか。という場面には何度か遭遇して生きてきた。その対処法について、私が成功してきたかどうかはわからぬが、とにかく今現在死んではいない。この状況も含めて、これが通用するかはともかく、気構え、闘う理由みたいなものを書いてみたい。
 戦後文学は、死んでいった戦友をはじめ、国家やその手先に殺された無数の無念を背負っているという一つの現実があるように、多くの闘いは、仲間の屍を背負って始まり持続する。毒親との対決でも、下らないブラック会社やパワハラ上司に対して、なにも、そこまでやる必要はないのではないか、という人もいる。しかし、綾瀬や北九州の事件の「元」が、根源が、そこに至る道筋の始まりがあったとしたら、見過ごすわけにはいかないだろう。
 持病はかかえていたが、両親はもうおらず、つらい人生からやっと四六歳でビル管世界の仲間を得て、就職先を見つけて、借金を返していこうとしていた男がパワハラとブラックのさなかで急死していった。他にも死にはしないが、とんでもない目に遭って「もうビル管はやらない」と人生を潰されたような男もいる。家に引きこもって、早すぎる人生の引退をした者もいる。
 「凪さん、絶対に辞めないでくださいよ。せめて凪さんだけでも、やっつけるまで行かなくとも、抵抗する姿を見せて下さいよ」
 涙目で懇願された。

 「八時半となるのでよろしく」
 そう、朝礼で言い放った後の彼の笑顔は、おそらく名古屋アベック殺人や綾瀬コンクリートの犯人と同質の笑みであったはずなのだ。何故ああいった悪人が生まれるのか。今ここでこういった男を許し、温存し、後押ししてしまうからだと私は考える。許す社会となってしまっているからだ。と、これは私の勘違いであってくれると良いのだが、そう思わずにはいられないのである。
 何故あの首相が、あの代表者が変わらないのかというのと同じである。ビル管理関係の書籍においても、明らかに「読みづらい」記述しか書けないのであろうかという人間が、権威となってその位置に君臨している様子を常に見せられている。
 日本の場合、他の世界でも大同小異であろう。何故あの男のままなのか。ほかに人材がいないのか。事を荒立てるのが怖いのか。変更するのが面倒くさいのか。実際には、自分も“パワハラ”する側の人間の一味が多いのか。
 八時半の男の笑顔を放置してしまうと、コンクリートやアベック殺人の萌芽を見過ごしてしまう行為に等しく感じるのだ。
 八時半出勤は、私にとってのマイナス面というと、家を出る時間が朝七時一〇分のところが一時間早まるということになる。そのこと自体は苦痛といえば苦痛だが、かつての現場は六時きっかりに家を出ていたから、絶対的な苦痛ではない。問題は、不自由感、勝手に決められた感、やりたいと言ったわけでもないことを押し付けられた感、支配された感、操られている感覚が、どうにもむずがゆく、例えとしてふさわしくないかもしれぬが強姦されて訴えることが様々な事情で出来ない気分の最小単位とでも言いたいほどに、不快なのである。どう表現したらいいのだろう。悪人の始まりを自らが許して手を貸している感覚とでも言おうか。
 やはりこの言葉しか浮かばないのだ。
 ふざけるんじゃねえよ。
(建築物管理)







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