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評者◆粥川準二
リヴァイアサンの剣=罰則は、感染拡大を制御できるのか?――剣を振りかざす側には、感染制御を阻害する可能性があるという自覚はあるのだろうか
No.3483 ・ 2021年02月13日




■筆者は前回、新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)の感染拡大を防ぐために、政府がいよいよ、事業者や個人に対する罰則を検討し始めたことについて書いた。リヴァイアサン(≒国家権力)が剣を振りかざしている、と。
 その剣のかたちが見えてきた。
 一月二二日、政府は、「特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)」と「感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)」の改正案を閣議決定した。特措法は営業時間短縮の命令を拒否した事業者への、感染症法は入院を拒否した者への罰則などを盛り込む。知事からの命令に従わず、営業時間の変更などに応じない事業者は、行政罰として五〇万円以下の「過料」が科されうる。知事からの宿泊療養の勧告に応じなかったり、入院先から逃げたりした患者は、刑事罰として一年以下の懲役または一〇〇万円以下の罰金が科されうる。
 これらに対し、野党や多くの論客らが批判した。二六日には、入院を拒否した患者への懲役を削除する方針が伝えられたものの、メディアでもSNSでも、専門家たちの間でも、批判的な論調が目立ち続けている。
 たとえば一月一四日には、日本医学会連合や日本公衆衛生学会、日本疫学会が感染者が入院や検査を拒否した場合などに罰則を設ける法改正について反対する声明を出した(日本医学会連合「感染症法等の改正に関する緊急声明」など)。声明は、感染症法そのものがその前文で、かつてハンセン病やHIVの患者たちへの「差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め」る必要があると述べていること、同法がその「歴史的反省のうえに成立した経緯があること」に注意を促す。そして、すでに新型コロナウイルス感染症の患者や感染者、医療従事者への偏見・差別が報告されており、これらを抑止する対策がないまま、「感染者個人に責任を負わせることは、倫理的に受け入れがたい」と主張する。また感染者が罰則を恐れるあまり、「検査を受けない、あるいは検査結果を隠蔽する可能性」も生じて、その結果、「感染の抑止が困難になる」と指摘する。
 公衆衛生学者の橋本英樹がインタビューに答えるかたちでそれを補足している(岩永直子「「罰則は、効果がないどころか公衆衛生を破壊する」 東大の公衆衛生教授が感染症法の改正に反対する理由」、BuzzFeed、一月一五日)。橋本は「入院を拒否するのは、「俺は何者にも縛られないのだ」という動機よりは、「それによって仕事を失う」とか「その間、誰がうちのおじいちゃんの面倒を見てくれるの?」という実際的な問題を避けるためであることが多い」と指摘する。「現実的に困ってしまうので、「今は入院できない」と拒否する人が多いわけです。その人たちに対して、「いや決まりですから」と罰を与えるのは、ビクティムブレーミング、つまり被害者を非難するようなものです」。
 橋本は「感染者が前科者になるんですよ」とも指摘した。東京新聞もまた、この感染症改正によって「憲法が保障する「移動の自由」の制約につながるだけでなく、患者が「犯罪者」になりかねない」と書く。同紙によれば、ある「厚生労働省幹部」は、行動の制約には罰則による強制力という「最終的な手段」が不可欠だ、と述べた。しかし「異論も多い。入院勧告に従わなかった患者が感染を広げたという科学的な根拠を示していないからだ。厚労省は刑事罰の対象になるような事例が全国で何件あったかを調査、集計していないことも認めて」いるという(坂田奈央「感染症法「患者に罰則」正当か〈新型コロナ法改正ここが論点②〉」、同紙、一月二五日)。
 同じシリーズ記事の①「緊急宣言前の休業命令 憲法22条に抵触の恐れ」(一月二四日)では、特措法の改正についても問題を指摘している。営業時間の変更などに応じない事業者に「過料」、つまり罰金を科すことは、憲法二二条の「職業選択の自由」に含まれる「営業の自由」を過度に制約することになりかねないことを、同紙は専門家の話もまじえて指摘する。
 また、東洋経済の解説部コラムニスト・大崎明子は、事業者に対する持続化給付金には、法人二〇〇万円、個人一〇〇万円の上限があることを確認したうえで、特措法改正案は「必要な財政上の措置」を講ずるとしているものの、「飲食業などの事業者に所得補償を設けるとは明記されず、罰金の条項は先行して決められている」と指摘する(「特措法、感染症法の罰則規定はなぜ問題なのか」、東洋経済ONLINE、一月二六日)。大崎は特措法と感染症法をまとめて、「その改正による罰則の適用を受ける可能性は弱者のほうが高い」と批判する。
 なお菅義偉首相は二五日、衆議院予算委員会で、感染症法に懲役刑を導入する政府方針について「罰則を求める知事会の緊急提言をいただいた」と答弁した。しかし、InFactの立岩陽一郎が全国知事会に確認したところでは、同会は「懲役とは言っていないのですが、罰則規定については提言させていただいている」と答えている(「[FactCheck] 入院拒否に懲役刑 菅首相答弁「全国知事会が罰則を求めた」はミスリード」、一月二七日)。BuzzFeedの籏智広太の取材に対しても、「『罰則』の中身をどうするかについては、立法は国会の権限になるため、知事会としては触れていません」と述べている(「入院拒否に懲役刑「罰則を知事会から求められた」菅首相の発言は本当か?」、一月二七日)。
 首相の答弁は明らかにミスリーディングかつ不誠実だ。
 なお筆者は、過去のHIV感染者などへの調査では、患者などをスティグマ化する、つまり差別したり非難したりすると、彼らは検査や治療に消極的になり、かえって感染拡大を促してしまう可能性が指摘されてきたと紹介したことがある(「“スティグマ”が助長する感染拡大――コロナ差別が許されない理由」、論座、二〇二〇年七月二八日)。すでに国内でも、検査拒否の事例が報道されている。
 以上を踏まえれば、リヴァイアサンの剣=罰則は、検査や治療、積極的疫学調査などの拒否を加速し、感染制御を阻害する可能性がある。剣を振りかざす側にその自覚はあるのだろうか。
(県立広島大学准教授・社会学・生命倫理)







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