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評者◆中村隆之
追悼 ジャック・クルシル――クルシルは何よりトランペットの詩人だった
No.3456 ・ 2020年07月18日




■6月25日(木)、旧友のラファエルからSNSのメッセージを久しぶりに受け取った。筆者がシェアした数年前のアフリカの芸術家の訃報記事を見て連絡をくれたのだった。その芸術家とはフレデリック・ブリュリィ・ブアブレ(1923‐2014)。象牙海岸出身で、ベテ族のための400以上の音節文字からなる新文字体系「ベテ・アルファベット」の考案者として知られる。
 ラファエルは、2009年のある思い出に触れてくれた。その年の12月、エドゥアール・グリッサン(1928‐2011)がカルべ文学賞授賞式のために主催者としてマルティニック島に戻ってきたときのことである。
 ラファエルは当時グリッサンの個人秘書(現在はモントリオール大教員)をしており、筆者はカリブ海文学を肌身で感じるためにこの島に長期滞在をしていた。このようなわけでカルべ賞授賞式に筆者も居合わせたのだが、そのさいにたしか流されていたのが、短編記録映画「ブアブレのアルファベット」(ニュリット・アヴィヴ監督)だった。
 当時の筆者はブリュリィ・ブアブレのことをいまだ理解できておらず、その存在を衝撃的に受け止めるのは、真島一郎編『二〇世紀〈アフリカ〉の個体形成』(平凡社)に収められた編者の渾身の論考を読んでからのことになるが、このブアブレの死をめぐる記事に触れたラファエルは、09年、やはりその場に居た、グリッサンの親友ジャック・クルシル(1938‐)の近況を伝えてくれたのだった。
 クルシルとはどんな人物か。初めて見たときの様子を筆者はこう記したことがあった。
 「その演奏を目にしたのは、2009年12月マルティニックのカルベ賞授賞式においてだった。身長190cmを超えそうな初老の大男。片手にもったトランペットが小さく見える。その古びてくすんだ見た目から長らく愛用しているトランペットであることが分かった。男の後ろの白いスクリーンには、エドゥアール・グリッサンの最後の長編詩「大いなる混沌」が映し出されていた。この詩の朗読と交互に、男はその大きな体躯を前に屈ませて小さなトランペットを吹く。楽器から発せられる音は、もはや音というよりも一個の声だ。ある道を究めた人間が辿りつく境地というものがあるとしたら、それはたとえばこのようなトランペットの奏でる音かもしれない。そう思わせる凄みがジャック・クルシルの演奏にはあった」(「OMEROS」10年6月16日付記事より)。
 筆者にとってクルシルは何よりトランペットの詩人だった。この演奏を初めて聞く数ヶ月前、現地で入手した07年のアルバム『喧騒』には深い衝撃を受けたことを覚えている。ある日、マルティニックのCDコーナーから、草むらにトランペットを構えて佇むモノクロ写真の印象的なジャケットに遭遇した。裏返すと、グリッサン、ファノン、モンショアシといった筆者の親しんでいる作家名を冠した曲が並んでいる。これを聴かないでおいてしまうことなどできなかった。
 事前情報はなかった。それゆえいっそう、クルシルの声とトランペットは衝撃的だった。今なら次のように表現できるかもしれない。クルシルの太くしわがれた声はその奥底に苦悩を隠すが、トランペットのほうはこの苦悩を包み込むような余韻を残す、寛容の音色を奏でる、と。
 偶然にも、クルシルの「大いなる混沌」をこの数ヶ月のうちに二度も耳にする機会があった。
 一度目は、3月20日(金)、恩師、今福龍太氏の東京外国語大学での最終講義に相当する〈オペラ・サウダージ〉のときだ。全体のコラージュをなす各場面が著作のみならず、ある内的追想と結びつくこの〈オペラ〉において、『クレオール主義』のこと、カリブ海での滞在、グリッサンについて壇上にあがって対話をおこなったさい、今福氏が舞台でかけたのがこの「大いなる混沌」だった。
 二度目は、6月19日(金)の「エドゥアール・グリッサン研究入門」と題した本郷での遠隔授業の折だ。小説『第四世紀』を取り上げたこの日、発表者Kさんが、〈オペラ・サウダージ〉のさいに聞き知ったクルシルの「大いなる混沌」を奴隷貿易の記憶に因んでかけてくれたのだった。
 大いなる混沌がやってきた/大いなる混沌はこの場にいる……
 「いや、じつは一週間前に授業でクルシルの音楽を聞いたんだ」――そうラファエルに返信をしたところ、こんな返信をもらった――「ジャックの音楽が一週間前に日本で響いていたなんて。とてもうれしい。感激している。だってこれはジャックが旅立とうしているまさにそのときに〈全‐世界〉のうちに彼が「いること」の印だと思えるから」
 そうしたやりとりをしてから間もない6月26日(金)の朝、ジャック・クルシルは旅立った。82歳というその年齢は11年2月3日に去ったグリッサンと変わらなかった。
 同日『メディアパール』に発表されたロイック・セリの追悼記事ではトランペットの詩人の生涯が簡単に振り返られている。最後に紹介しておこう。
 1938年、パリにマルティニック出身の両親のもとに生まれる。戦後のパリで詩に親しみ、ジャズに出会う。ネグリチュードに傾倒し、モーリタニア独立闘争に居合わせ、政治犯として捕まるものの、セネガル大統領サンゴールの政治介入により釈放。以後、ダカールでサンゴールの個人秘書を務める。その後、フランスに帰国。言語学者の道を歩む。また、ニューヨークに行き、トランペット奏者ビル・ディクソン(1925‐2010)と決定的出会いを果たし、新奏法を発明。69年、最初のアルバム『ブラック・スイート』を発表。
 77年、言語学博士、92年、科学哲学博士。マルティニックのアンティル・ギアナ大学、コーネル大学、カルフォニア大学アーバイン校で教師生活を送った。主著に『言語活動の沈黙の機能』(00年)、『純粋価値――フェルディナン・ド・ソシュールの記号学的範列』(15年)。主なアルバムに『ミニマル・ブラス』(05年)、『喧騒』(07年)、『涙の道』(10年)。
(フランス文学)







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