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評者◆睡蓮みどり
今年一番のトラウマ――アリ・アスター監督『ミッドサマー』、テレンス・マリック監督『名もなき生涯』、ワアド・アルカティーブ監督『娘は戦場で生まれた』
No.3437 ・ 2020年02月29日




■二日酔いで嘔吐することは日常茶飯事だが、それ以外の理由で吐くことはほとんどない。しかし試写室を出た後に、胃の底から何とも言えぬむかつきが起こり、トイレに駆け込んだ。『ミッドサマー』を観た帰りだった。アリ・アスター監督といえば最も注目される若手監督の一人。観る者の興味を引きつけておいて見せる・見せないのバランスが絶妙なのだ。
 9日間続くという「特別な祝祭」のために呼び寄せられた学生5人はスウェーデンの奥地にある共同体“ホルガ”に辿り着き、そこで白い衣装に身を包んだ村人たちに歓迎される。白夜が続くその村はずっと明るく、それだけですでに異様な空気が漂っている。フローレンス・ピュー演じるヒロインのダニーは、両親と妹を一度に亡くしたばかりで最初から不安な精神状態だ。おまけにそのせいもあり、彼氏のクリスチャン(ジャック・レイナー)ともそんなにうまくいっていない。何が起こるのか全くわかっていない彼らは、村人たちに混じって村人と同じように様々なしきたりに参加する。ダニーたちと同様に、あからさまにカルトめいたこの美しい場所で何が起こるのか、不安と好奇心が入り混じる。本当は覗いてはいけないと思いながら、こっそりと見てしまいたいという「鶴の恩返し」のおじいさんの気分だ。劇中でも、若者の一人が観客の代わりに聖典を携帯で激写しに行ってくれる。また、ある儀式に参加した際にダニーは驚くべき光景を目にする。そこに登場するのは、なんと、私の永遠の美少年である『ベニスに死す』のタージオことビョルン・アンドレセン(なんともう65歳! 37年ぶりの映画出演!)なのだが、なんとも形容しがたい無残な姿に……。ネタバレなんて言うのも言われるのも全然気にしない、と基本は思っているが、こればっかりは絶対に言ってはならない、見たことを口外してはならないという気持ちになる。ダニーにしても私たちにしても、「見てしまった」のではなく、「見せられてしまった」のであり、強制的に共犯関係を結ばされてしまったわけだ。チラリズムどころじゃない。
 ダニーたちは幻覚作用のあるドリンクを飲んでしまう。まさに幻覚を見ているような
映像の歪みが起こり、突然ピントが移動して暗闇のなかに人間らしきものが映り込む。前作でも画面の暗闇のなかからぼうっと浮かび上がってく
る人間なのか幽霊なのかわからない存在にゾッとさせられ、短編『C'est La Vie』のなかでも、主人公が喋っている背後の窓に不意に近寄ってくる男の姿は、ホラーではないのに不気味だった。これらは見せる方の気味の悪さで、もう一つ印象的なのは音の使い方だ。
 聞きたくもない嫌な音は短編『BEAU』でも顕著で、鍵を盗まれた男はいつドアが開いて誰が侵入してくるかわからない恐怖で神経が疲弊していく。チリーンという軽い音が男にとっては心臓が止まるほど恐ろしい音になってしまうのだ。アリ・アスターは人の神経を上手に逆なでし不安にするが、かと言って底意地の悪さが顔を覗かせるわけでもなく、実に素直に、チャーミングなやり方で登場人物や私たちを追い込んでくれる。音といえば、ダニーが恋人の一番見たくない姿を目撃して嗚咽するシーンが出てくる。そして、共同体の少女たちは彼女に共鳴して一緒になって叫ぶ。ダニーが見たものも、あの叫び声も、おそらく今年一番のトラウマだ。



 『名もなき生涯』は第二次世界大戦下、オーストリアの美しい山の村で幸せに暮らす若い農夫のファニとフランツに突然降りかかった悲劇の物語だ。同じ時代のオーストリアを描いた名作といえば『サウンド・オブ・ミュージック』が真っ先に思い浮かぶ。最初に観たのは子どもの頃で、「ドレミの歌」を歌ったり、カーテンで洋服を作るなど比較的幸福なシーンばかりが印象に残った。戦争というものがどんなことか、まだ理解さえできていなかったのだ。『名もなき生涯』でも召集令状がフランツに届く。頑なにヒトラーへの忠誠を誓わずに生きることを決めた彼は牢獄に入れられることになる。村で暮らす妻のファニも3人の子どもたちも、非国民扱いされ生活も楽ではない。頼れるのは彼女の姉くらいしかいない。それでもファニとフランツは手紙を何通も交換し続ける。そこには強い愛情と深い尊敬の念に溢れた言葉が並ぶ。
 明るい太陽のもとで、多くは望まず、ただ無邪気にささやかなことで幸福を感じて生きていただけなのに、たったそれだけのことが許されない。実際に起こったことを元にしてつくられたこの映画は、二人の感情や屈することのない想いの根源に緻密に丁寧に寄り添い、息吹を吹きかける。ただ生活をするために、心になくとも表面上は忠誠を立てて生きた人も多くいただろう。しかし彼らにとっては、それはもはや生きるということではないのだ。生まれてきて、生命をまっとうすることとは何か、深く感じ入る作品だ。



 生と死が隣接するシリア・アレッポを撮影し続けた『娘は戦場で生まれた』もまた、強烈に胸に刻まれる映画だ。2012年から2016年にかけて撮影された映像のなかで、監督のワアド・アルカティーブは結婚し、母親になる。この作品は娘のサマに語りかける。デモから内戦へと発展し、アレッポに留まることは危険だとわかりながらも、彼女は撮り続け、医師でもある夫は日々運ばれてくる多くの負傷者たちを助けようと奮闘する。計画して撮ることなどあり得ない状況で、仲間がいなくなるのを目の当たりにし、悩んでいる暇も、悲しんでいる暇さえなく、生きて撮り続ける。ワアドは何度も自分のした選択が正しかったのかと自問自答し、時にまだ幼い娘に謝る。
 「目を閉じても赤色が見える」と語るほどに血の色に支配され、死んでしまった人々は少し前まで生きていたのだとわかるほど生々しい。目を背けたくなるような悲惨な状況の一方で、子どもたちが壊れたバスで遊び、負傷した9ヶ月の妊婦は急遽帝王切開をし、真っ白だった赤ん坊が産声とともにみるみる赤くなってゆく。カメラに映し出されたすべてのことは本当に起こったことだと、いまでも信じがたい。目を閉じてもこの映画には終わりがない。
(女優・文筆家)







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