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評者◆秋竜山
価値ある新聞紙、の巻
No.3375 ・ 2018年11月17日




■よくいうことであるから誰でも知っている。今日、出た新聞は、新聞紙といい、次の日になると、新聞紙という。同じ新聞でも、発行日が一日でもたってしまうと、紙から紙へと呼び名も異なるし、当日のものの価値がまったく無くなり、次の日は無価値となり相手にされない。只の紙となった新聞は、まだ眼をとおしていなくてもゴミ箱へポイとされる。当日の新聞は、読んだからといってゴミ箱へ捨てられることもあるまいが、たとえば駅売りの新聞などは、家へ帰るまでの運命であって、読み終え、家へは持ち帰ることはなく、駅の構内などにゴミ箱が置かれてあり、それにポイ。読み終えた新聞は未練などというものはない。昔は、新聞紙のやくわりとして、次の日、弁当をつつむものとされた。
 私にとって、もっと昔になると、新聞紙は手のひらをちょっと大きくしたくらいの寸法に切って、それをかさねて、トイレに置かれたものであった。トイレなどといわず便所といった。尻をふくトイレット・ペーパーといったところである。新聞紙を手でもんで、やわらかくした。それで尻をふくのである。鼻をかむときにも使われた。鼻をかむと鼻のまわりが、新聞の印刷のインクでまっくろになったりしたものであった。便所で尻をふきとされた新聞紙は、便所の溜の中へすてられる。そしてウンコと一緒になって、とけてしまう。水洗などない時代であったし、便所のウンコは、大事なやくわりがあった。畑へ肥として野菜へ肥びゃくでかけられた。少年の頃のそんな畑がなつかしい。新聞紙の便所の紙もウンコにまじって、とけてしまうのが普通であったが、時として切れはしがそのまま残っていたりした。もちろん、風雨の中を生きのびたというか、その切れはしには新聞の記事がそのまま消えずに残っていたのである。私は、畑でしゃがんで、それを読むのが楽しみでもあった。
 外山滋比古『新聞大学』(扶桑社文庫、本体六二〇円)で、
 〈新聞は本とは違う。昔から、ノートを取りながら新聞を読む人はいなかったと思われる。もちろん、カードをつくりながら読むという人もない。しかし、役に立ちそうな、おもしろい、あとで使うことのできる知識の含まれた記事はある。どうするか。切り抜くのである。(略)捨てる本はあるが、切り抜きする本はないのである。本の持つ力はそんなところで顔をのぞかせる。新聞は読んだら捨てるものと思われている。切り抜きしても、悪いことをしているという気持ちはしない。〉(本書より)
 なぜだろうか。本を切り抜くと、何か悪いことをしたような思いがする。が、新聞にはそれがない。どうして、本を切り抜いたりやぶいたりすることをためらうのか。それなりの理由があるだろうが。その心理がよくわからないが、大変おもしろい。新聞の切り抜き魔となると、新聞を切り抜かないと、その新聞を捨てるのがもったいない(ケチとは違う)。古本屋というのが存在するが、切り抜かれたり破かれたりした本は店頭へ並べることはできない。
 古新聞屋というのがない。あったとしても、売れるわけがないというより、商売にならないからだろうか。それでも、今、昭和の新聞が残っていたら、価値ある新聞紙となるだろう。







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