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評者◆稲賀繁美
タケミカヅチはなぜタケミナカタに自らの手を握らせたのか?――『古事記』「国譲り」の発話構造における神威発現の機制と策略
No.3354 ・ 2018年06月09日




■『古事記』の一節を読み直したい。オホクニヌシの国譲りにまつわる著名な一節である。
 葦原中国と命名される出雲の国の側のオホクニヌシの息子、タケミナカタが、高天原から到来したタケミカヅチに対して、力比べを申し出る。倉野健司編の『古事記大成』(平凡社)に従えば、建御名方神は「我先欲取其御手」と発言する。平定されようとする側が、侵略者の「御手」を先に掴みたいと申し出ている。続いて「故令取其御手者」即ち「それゆえタケミカヅチは自らの〓御手〓を取らせた」と本文にある。直接話法の「御手」が『古事記』の語り手≒筆記者の語彙に横滑りする。ここには、高天原勢を前にした葦原中国側の遜りの姿勢だけでなく、発話主体もまた高天原側の権威に服従した従僕である事実が、話法上確認される。
 まず注目したいのは、侵略者側が一方的に手を下したのではなく、平定される側が先に手を出した、という設えである。この初期条件設定は、侵略される側が自ら求め、その許可を侵略者側から頂戴している。一騎打ちの舞台設営に先立つ水面下の外交交渉が想定される。ここで高天原側は、葦原中国側に対して、譲歩の姿勢を示しつつ、相手側に有利とみえる条件を、鷹揚にも付与してみせる。寛大な措置を賜う恩着せがましさが、これみよがしに記録に留められたことになる。それは、『古事記』編纂段階ですでに明白だった事実、つまり高天原による葦原中国の平定という位階の優劣にも呼応する。歴史的事実の反映か、記述時の配慮による潤色だったのか。重奏圧縮された文字面は構造上癒着し、もはや区別がつかない。
 こうしてタケミカヅチは自らの手を握らせるが、その手は氷柱あるいは劔の刃に変じ、タケミナカタは屈服した、と『古事記』は続ける。まず、手を握らせたのは何故か。ここには武術技法の痕跡が、神話的語りに変貌して残存してはいまいか。思えば合氣道の稽古などでは、ウケが先手で攻撃し、トリは「不利」な後手の位置から「遅れて」対応する。受動と能動とが常識とは逆転している。
 ここには二重の教訓がある。一方で、先制攻撃は不当で狡いと見做す倫理的非難を巧みに躱す外交政略上の巧緻と手腕。他方で、実際には先に手をだしたほうが不利になるという実践的戦術上の逆理。後手と見紛う応対のほうが、より大きな行動範囲の自由を担保できる。タケミカヅチの「勝因」は、相手に手を掴ませる知略にあった。
 では氷柱や劔とは何か。超自然な威力を暗示する逸話だが、そこにはタケミカヅチの行為に備わった権威が表明されている。直前の場面で彼の発する言葉にこうあった。「汝之宇志波祁流葦原中國者、我御子之所知國、言依賜」。お前が領有する葦原中国は我が「御子」の支配する国であると、ご委任なさった――という段だが、ここで話者はタケミカヅチからアマテラスへ
と変貌している。藤井貞和も述べるように、この主語未分化なままの語り手の変容は、憑依現象であり、「口移し」によるオホクニヌシへの言向けだろう。言い換えれば、使者たるタケミカヅチは自らの意思で行動しているのではない。天照大神の意思を体現し、その威信が「御子」に乗り移る。そしてその神威を発揮するための不可欠の機制こそ、「御手」を取らせるという一見「受動的」な振舞いだった。「知」=シラス=統治という遂行言表、さらに「言依賜」(言依さしたまひき)という権限委任がここに託されていることも看過できまい。受動に折り込まれた権能の能動性が「劔」に変身顕現し、意思ならぬ意思の成就という魔術(Max Weber)、印欧語族で言えば「中動態」Middle voice的事態が、日本語の論理に於いて遂行される。使役と受け身の互換性・主語の浮遊がその遂行媒体=霊媒mediumとなる。

※マラル・アンダソヴァ『古事記 変貌する世界――構造論的分析批判』(佛教大学研究叢書・ミネルヴァ書房、2014)および「古事記と『シャーマニズム』:葦原中國と命名することについて」『日本文学』64巻5号、2015年5月。また「世界の中の日本研究」(国際日本文化研究センター創立30周年記念国際シンポジウム、2018年5月20日)席上での著者の発表と意見交換から触発された。「名指し」の遂行言表が発現する機制に関する卓見に賛意を表す。







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