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評者◆睡蓮みどり
ミューズたちはいつも逆境のなかで――S・レリオ監督『ナチュラルウーマン』他
No.3339 ・ 2018年02月17日




■自分自身のことについてじっくり時間をかけて考えるということをほとんどしなくなってしまったような気がする。確かにもうすっかり10代であるわけでもなく、誰に咎められるわけでもなく、自然といえば自然な流れなのかもしれない。それにしても10代の頃はあんなに自分とは何者であるのかを必死に考えていたように思うが、昔ほどは考えなくなったからといって、何も自分のことがよくわかるようになったわけではない。それどころか、なぜ自分がそんなふうになってしまったのか全く理解できない行動や言動をしてしまうことが増えた。昔の方がよっぽど自制心があった。思考することと行動することをできるだけ一致させたいと思っていた。しかしここ最近は見事に反比例していく。思考することと言動がかけ離れていることなど日常茶飯事だ。ちょっと誤魔化し方が上手くなったに過ぎない。
 本当の自分というものが何かよくわからなくなり、ついには開き直ってそんなものはない、とついつい言いたくなりもするのだが、つまるところ考えなくとも済む環境にいたというのが、大きな要因の一つのように思う。そのくらいのうのうと生きても何とかなってきたのだ。恋愛なんかして「私ってあなたの何なのよ」と言いたくなることもなくはないが、酔った勢いで無理やり言わせてみたところで、どうせ翌日にはすっかり忘れてしまっているのだ。それに他者同士の関係性というもの自体が移ろいやすい一方で、私とは何であるかというアイデンティティの問題は、一見変動しないように思われがちだ。しかし移ろうことが多分にあるのだということ自体はなかなか理解され難い面がある。
 日々、自分が何者であるかを否応なしに突きつけられてしまう状況が辛くないはずがない。逆境の中で生きる強さと、儚さ、それから深く他人を愛すること。『グロリアの青春』で溢れんばかりの女性讃歌を描いたセバスティアン・レリオ監督の最新作『ナチュラルウーマン』にはその全てが詰まっていて驚いた。最初、年の離れたカップルの愛の物語かと思いきや、それに留まらない生命力がある。何より、途中まで主人公のマリーナを単に年若い女性であることを信じて疑いもしなかったので(そしてそれは事実なのだが)、彼女の状況が見えてきた途端に度肝を抜かれたのだ。
 ここのところだんだんと、LGBT映画という呼び方に違和感を覚えるようになってきた。普及すればするほどに。そういった括りがどうしてもこの映画の本質から少しずれてしまうような気がするのは、マリーナを演じたダニエラ・ヴェガが心底魅力的だからに他ならない(主人公マリーナ役の女優を探していた当初、実際にLGBTであり歌手として活動するダニエラ・ヴェガに相談していたところ、彼女しかいないということで主演女優に抜擢されたのだそうだ)。圧倒的な魅力の前には、性別なんてどうでもよくなってしまうし、彼女が/を愛する老齢の恋人オルランド(フランシスコ・レジェス)もまたそのように彼女を見て、感じていたに違いない。
 その一方で、元妻や息子たちの容赦ない言葉や品のない言い方、残酷さは確実に他人を傷つけようとする悪意がある。おそらくその悪意は無自覚なものだ。元妻は「目の前のあなたが理解できない。神話のキマイラ(怪物)みたい」と言う。理解できないもの=怪物なのだ。オルランドの死にマリーナへ疑いをかける女性刑事も、一見味方のふりをしようとするところがたちが悪い。オルランドの息子に至っては、本当にあの紳士な彼の息子なのかと疑いたくなるほどに品性が下劣。差別的で、暴力的だ。しかしマリーナは屈しない。随所に現れるオルランドの亡霊は、いつも恐ろしさの対極にあって、見守るように寄り添って存在している。これまでの二人の結びつきがいかに強靭なものであったかを想起させる。彼女の純粋さや、深く繋がった二人の愛の本質には誰も介入できない。が、しかし、現実はいつでも逆風が吹いている。「お前は何なんだ」に対する「私は人間よ」という言葉はしみじみと突き刺さった。
 さて、キャスリン・ビグロー監督の『デトロイト』(TOHOシネマズ他、全国公開中)は、1967年に実際にデトロイトのアルジェ・モーテルで起きた事件を題材に描いた作品で、周りでもたいそう評判がよく、観に行ってみた。神経が逆撫でされるほどの黒人に対する差別的な視線や暴力が右からも左からも飛び交う。そして暴動がエスカレートしていく背景には、差別に対する怒りや憎しみだけでなく、人々の恐怖が付きまとうことを再認識させられた。恐怖が暴力を助長させ、人を死に至らしめる。無理解な発想は他人を「キマイラ」として映し出してしまうのだ。キャスリン・ビグローの実力を改めて突きつけられた。
 同じアメリカの女性監督といえばソフィア・コッポラが思い浮かぶが、クリント・イーストウッドが主演を演じた『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル監督、1971年)と同じ小説を題材にした『ビガイルド 欲望のめざめ』(2月23日、TOHOシネマズ六本木ヒルズ他、全国ロードショー)では、南北戦争のさなか、男子禁制の女学校に暮らす先生と生徒たちの間に一人の負傷兵が迷い込んでくる。ストーリーは変わらないが、女性たちの視点や言葉の毒気がソフィア・コッポラらしく散りばめられて、男臭さが際立つドン・シーゲルの監督作とは全くもって別物になっていた。官能的というよりは、いやらしさが全開。一匹の男を求めてまるでゲームを楽しむように欲望と嫉妬を楽しむ女たちの本音は、言葉にしないところにこそ現れる。浮かれ気味だった男の見事なまでの二重の意味での豹変ぶりと、一見変わらないように見えて、悪女を超えて悪魔になっていく女たちのポーカーフェイスには身の毛がよだつ。
 特にマーサ先生を演じたニコール・キッドマンの熟した女性としての冷静さと、その裏にある限りない欲望の加速ぶりには完全にもっていかれてしまうので、ぜひ目撃して欲しい。傍観するスタンスをとるよりも、花園の中でただ一人の男を演じたコリン・ファレルの境地に立って一緒に堕ちていくのも、この映画の楽しさの一つかもしれない。
(女優・文筆家)







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