書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆平井倫行
柔らかい影――「猫百態 朝倉彫塑館の猫たち」展(@朝倉彫塑館、12月24日まで)
No.3329 ・ 2017年12月02日




■刺青を死や生の文脈に幻視する厄介な目を持ち、世の中を渡り歩く日々のまにまに、血の滴りが印象される事物を探すようになって随分経つが、遺体の傍で眠る夜を、人は一生の間に果たして幾度経験し得るものであろうか。少なくとも私の場合、親族の葬儀に先立ち畳座敷の端に布団を敷いて、死者の伽をするのは今回が二度目である。
 家中の者の死にあたって、数日の間その遺体を生前の住居に置き見守る風習は我国に古く、これは死者の霊を慰め惜別する行為であると同時に、またいわゆる「早すぎた埋葬」、蘇りの阻害を回避するための期間であったと考えられる。そこには遺された者達が「事実としての死」を確認し、それを受容しようとする強い気持ちが表される一方、その背後には、近しき者の魂が再び現世へと回帰せられはしないかという非合理な期待、人の持つ精神の暗部に起因する感覚の二面を、読み取ることが出来るのである。
 人は死、他ならず親しき者の死に対し、客観的ではいられない。
 客観と主観との微妙な関係において、己のごく私的な悲しみや怒りの情を鎮静化し、外の世界へと開かれた「出来事」に読み換えていく葬送の儀礼とは、その点確かに刺青の施術と似通った部分を有していよう。生、あるいは死が刺青と取り結ぶメタフィジックの内容は、決して単層的でないが、それは人の情念を形あるものに結晶化する過程において、内なる感情の朦朧を「触知」し、体感させる作業であるには違いないからである。
 ところで、「死者は蘇り得る」として、その可能性は死者が未だ死者となり切っていないという想像が容認される限りにおいて、初めて仮定される。それは、死者はまた悪い影響力にも容易に脅かされる、不安定なものであることをも意味しているが、面白いのは、この時遺体から遠ざけねばならぬ魔力の実体には、しばしば猫が名指しで指定されてきた、という文化的事情であろう。「死体を狙う猫」というイメージ、そこには家族として長く生の時間を共有しつつも、多く外部にその性質を残し、家と外、二つの世界を往還する猫の両義性が、死体の持つ両義性と、等しく重なり合うがゆえの印象が漂蕩していたかもしれない。
 猫も死体も、また刺青も、人の内面に深く関与しながら、しかし我々と離れた存在である。これらはみな人にとり近く、かつ遠いところにありながら、それでいて我々の傍に隣接するのであろう。
 ゆらめく蝋燭の陰で、蒼白く微笑する死者の横顔に触れつつ私が思い出していたのは、つい先日朝倉彫塑館で見た、愛らしい猫達の姿であった。
 明治十六年、「日本近代彫刻の父」と称される朝倉文夫は、大分県池田村に生まれた。自身「肖像彫刻家」と述べるごとく多くの人物像を制作し、その中には仁礼景範、大隈重信といった要人の他、瀧廉太郎、尾上菊五郎、市川団十郎など、当代を彩る壮観な顔ぶれが居並んでいるが、一方、朝倉は動物や自然を愛し、分けても猫については熱心な愛猫家として、数多くの作品を遺している。
 猫は基本的に撫で、触り、愛玩する存在である。従って、その関係はとかく触知的な連帯を構築しがちであり、それゆえ猫が表現上の題材として選択し易いものであるか否かは、議論が分かれるところであろう。単体で自律することの多い朝倉の猫作品の中でも、猫と、それをつまみ上げる人間の手を表した《吊された猫》は、その意味から見て実に象徴的な作品であって、そこには対象へと通う親愛の情と共に、一瞬の接触に懸けた作家の思考的緊張や、神経的意識の反映が、強く残存しているように感ぜられるのである。
 創作上の写実と、客観主義の重要性を説いた朝倉にとって、猫とは愛しむべき題材であると同時に、またゆえにこそ困難な主題でもあったのかもしれない。人が客観であろうとしながら、結局は主観でしか関与し得ない。魂とはおよそそのようなものであるが、猫は常に手許にいながら、遥かな遠さを「ここに」残す存在である。誰かがかつて述べたごとく、皮膚が浅く、そして深いものであるならば、刺青も猫も、共に境界に現象する美としてその魂の本質に触れ馴染みつつ、まさに当のところの片鱗を、我々に「見たような気に」させてくれるもの、といいえるのであろう。
 昭和三十九年四月、朝倉は急性骨髄性白血病によってこの世を去った。
 現在開催中の『猫百態』展は、朝倉が死の直前までその成就を願いながらもついに果たせなかった夢を実現したものであり、そこには作家の遺志が引き継がれている。
 化猫は死体を奪うのが相場、といわれるが、また物語や民話におけるもう一つの典型としては、しばしば飼い主に恩を返す存在でもあった。してみれば朝倉の猫達は、死してなお、主人の情愛に報いた訳である。
 人生まさに、歩き回る影にすぎない。しかしだからといって、その影の営みそのものが無価値ということにはならないであろう。
 今はただ、この豊かな夜の安らぎに、敬すべき死者の冥福を、祈るのみである。
(刺青研究)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 純喫茶とあまいもの
(難波里奈)
2位 いま見ているのが
夢なら止めろ、
止めて写真に撮れ
(小西康陽)
3位 これからの本屋読本
(内沼晋太郎)
■青森■成田本店様調べ
1位 新・人間革命
第30巻 上
(池田大作)
2位 医者が教える食事術最強の教科書
(牧田善二)
3位 大家さんと僕
(矢部太郎)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 医者が教える食事術
最強の教科書
(牧田善二)
2位 ゼロトレ
(石村友見)
3位 看る力
アガワ流介護入門
(阿川佐和子)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約