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評者◆前田和男
成田委員長の知られざる対自民工作
No.2908 ・ 2009年03月07日




 一九七四年七月七日の第十回参院選では、自民党は前年のオイルショックによる狂乱物価、田中金脈選挙への反発もあって、選挙前の一三五議席から一二九議席(保守系無所属をふくむ)へ激減、過半数をわずか三議席上回るだけという保革伯仲となった。選挙直後、閣僚にあった三木武夫と福田赳夫が金権選挙を批判して辞任、田中内閣は足元からぐらついた。この自民党内の紛糾を利用して、参議院議長だった河野謙三を首相に担ごうという「奇策」だった。
 このアイデアを高木が出したところ、委員長の座にあった成田はそれにのってくれた。
 ただし、高木によれば、残念ながら成田による直接の工作はなかったと思われる。成田は国対族ではなく自民党との連携をすすめる手だてはあまりなかったからだ。マスコミ関係者へのブリーフィングなど間接的な操作になったと推察される。おそらくそんな事情もあって、この工作は結局はやぶれたのであった。
 「これは外には出なかったはず」と高木がいうとおり、私の調べたかぎり社会党史はもちろん大手マスコミの「観測記事」にもそれは見当たらない。
 そもそも成田と江田は党内右派・構造改革派グループの先輩・後輩にあたっていたが、一九六九年の「成田委員長・江田書記長」逆子体制の破綻をへて、七〇年一一月党大会の委員長選挙で成田は江田と対決。佐々木派・協会派など左派の支援をうけて、二〇七票対一四八票で江田に勝って委員長になったという経緯があった。
 社会党の役員人事はこれ以前もその後も「右派」と「左派」の拮抗の中で争われてきたが、これは成田を右派の江田から引き剥がした左派主導人事と評された。
 そして、一方、政権構想論では、前述したように党内左派は「全野党共闘」に対して、右派は非自民・非共産の連合政権。となると、成田は全野党共闘を隠れ蓑にした「社共共闘」派、あるいは「容共」派、連合政権には消極的となるはずだが、高木の証言によれば、そうではなかったことになる。ないどころか、非自民を超えて自民の一部と組んで政権奪取を目論んでいたというのだから驚きである。晩年は左派に取り込まれたとされる成田の知られざる一面を明かすエピソードである。
 この「失敗」について高木はこう総括する。政権交代・連合政権への仕掛けは、「政局」と「政策」の両面の兼ね合いが必要である。この時点では若気のいたりから、政局ばかりをみていたための失敗だったと。

●飛鳥田委員長を連合政権論者へ説得

 それから五年後の一九七九年、高木の「よりまし政権」が再び仕掛けられる。
 その年、東京都知事選挙で社共候補である太田薫・総評議長が落選。自民党の押す鈴木俊一の百九十万票に対して百五十四万票と大差をつけられ、これで潮目が変わる。社会党は社共共闘路線をご破算にするのである。
 ここで連合政権論が再び日の目をみることになる。もう水面下で工作する必要はない。今度のそれは表舞台で正々堂々と仕掛けられ、マスコミにも大きく報道された。
 高木には今度こそという思いがあった。前回と政治状況が違っていたからだ。社共共闘のご破算にくわえて、もう一つ追風が吹いていた。労働戦線統一問題が持ち上がり、高木は総評側の方針づくりに携わり、そこから政界再編、新党運動、五五年体制の組みなおしに再びかかわれるようになったのだ。
 ただし、気がかりなことがあった。気脈を通じていた成田がこの年の三月に白血病で急逝、社会党の委員長は二年前から飛鳥田一雄に代わっていた。状況は大きく前進したのに、飛鳥田は成田のようには乗ってこない。飛鳥田は腹の中では社共共闘派だったからだと思われる。高木は、総評の政策づくりでよしみを通じていた当時総評事務局長だった国労出身の富塚三夫のバックアップをえて、飛鳥田を連合政権派へ宗旨替えさせるための工作を行った。飛鳥田は逃げ回ったが、翌一九八〇年冒頭、とりあえず公明党との連携に合意する。これで社会党はそれまでの単独政権論から連合政権論へと舵を切ることになった。
 当時の新聞は社会党を中心にした連合政権を期待半分、疑念半分をこめて報道した。
 ちなみに「毎日新聞」八〇年一月一二日の社説は、まずは「期待」をこう寄せる。

 「(国民が)自民党の長期政権に代わる、信頼できる政治勢力の出現を期待していることは間違いあるまい。そうはいっても、政治の現状を直視すれば、全く新しい政治勢力の出現は望み薄である。既成の対抗勢力である野党が数の不足を「連合」で補い、統治能力、政策能力を養い、国民に応えていくというのは現実的であろう。その意味で、八〇年代はやはり「連合の時代」でなければならず、社公、公民間で「連合政権」への基盤づくりに踏み出したことは評価されてよい。」

 その上で、同社説は、社公民間の政策の違いをどう調整していくかが今後の課題であると指摘し、連合政権推進の多い執行部と実際の党活動を支えている左派の協会派との内部対立を抱えている社会党がもっとも心配だとして、次のように警鐘を鳴らす。

 「(左派勢力は)こんどの社公の政権協議を参院選目当ての選挙戦術と見なして静観の態度をとっているが、共産党の取り扱い、日米安保など党の基本路線に関する問題で党内が揺れ動く可能性がある。それは直ちに他党との協議にはね返るわけで、まだまだ問題は多いといわざるを得ない。マルクス主義と決別した西独社民党のように、社会党自身が思い切って体質転換したと見るのは早すぎると思う」

 しかし、高木はマスコミの疑念をよそに、当時の政治状況から事は上首尾に進むと読んでいた。社公の「連合・連携」だけでは政権は奪取できないが、「自民党の一部とも手を組めば行ける」と目論んでいたからだ。自民党内は「角福戦争」で紛糾していた。七九年十月に行われた第三五回衆院選で、自民は前回につづいてまさかの大敗北。公認の当選者に保守系無所属十名を加えてやっと過半数を二議席上回るだけという惨敗だった。これをうけて党内の権力闘争が勃発。選挙敗北の責任をとれと大平首相の退任を求める福田赳夫をいただく「反主流」。片や大平を裏で支えるヤミ将軍田中角栄の「主流派」。両者の確執は四十日に及んだあげく、社会党提出の内閣不信任案が反主流の一部の欠席で通ってしまい、史上初の衆参同日の「ハプニング選挙」となる。高木にとってはまさにチャンス到来と思われたが、選挙中に大平首相が心筋梗塞で急死するという更なるハプニングが加わり、一種の「弔い合戦効果」も働いて両院で自民が圧勝。これで高木の連合政権構想はついえた。おかげで毎日の社説の期待にも応えられなかったが、疑念を払拭することもできなかった。
(文中敬称略)







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