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評者◆平井倫行
閉ざされし園――『ベルギー奇想の系譜』(@渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム)展のポール・デルヴォーの作品から
No.3316 ・ 2017年08月19日




■夏の名残に憔悴し、あまり動く気がしない。こんな時には目の前にいるはずの人間ですら、すっかり遠くにいるような、妙な心持になってくる。
 街や広場で時に感じる孤独や寂寥とは、なまじ沢山の人々が周囲に存在するゆえにかえって生じる独特な感覚であり、それは自分とは本質的に無関係な多くの他者にあてられたような、自分がその場を支配する必然性から強引に「引き剥がされて」いるような、ある離絶の印象に近い。
 己の存在が、ふとこの「開かれた場」から締め出され、追い出されているように思う。世の中との一切の繋がりが拒絶され、自らを置き去りにしたところでのみ、あの幸福な日常は今も営まれているように思う。こうした感覚を一般に「疎外感」と呼称するが、この人類史上古く共有されてきた精神的苦痛は刺青においても極めて重要な意義を有し、ことに刑罰としての刺青、罪の表徴としての刺青は、むしろその嫌悪を人間が部分にせよ管理し、かつ制度化するための一つの手段であった。それは、そもそも「区別する」ことこそが、刺青が有す本質的機能に必ず含意されているという背景を雄弁に物語るものであるが、その区別が権威や名誉を示す場合も勿論あるも、それらはよりネガティブな意味において、しばしば愚かさや隷属の記号へと用いられたのであって、例えば我国でも江戸時代、黥刑は公然と執行される懲罰として、現実に存在していたのである。
 確かに、「目に見える」疎外の証は強い拘束力を有すものであるから、それは処す側と処される側との間に、物理的にも精神的にも、様々な意味で大きな距離を生ぜしめよう。しかしながら、世の中にはこうした、いわば外向きの疎外が効果を発揮する一方、目に見える社会的な罪や差別を被らぬ内側において、不可解な閉塞感に閉じ込められたまま内向きに苦しむという疎外のケースも、また存在しているように思われる。「開けども開けども閉じられてある」、この公にありながら閉ざされた感覚をごく最近、極めて象徴的な形で思考する契機となったのは、現在Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ベルギー奇想の系譜』展で観た、ポール・デルヴォーの作品であった。
 闇に沈む密林の中、一人の裸の美女が、艶やかなブロンドの髪を掻き上げた悩ましげな姿勢で、赤い天鵞絨カーテンの垂れ下がる野草の寝具に腰を掛けている。画中にはまるで熱帯か、湿気にうなされる夏の夜の寝苦しさのようなエロティシズムが静かに薫り立つが、しかし後景には、彼女の誘惑を一顧だにせず走り去る列車が冷ややかに眺望される。彼女は毎晩この場所で全ての人々に求愛を捧げつつ、虚しき通過を、ただ見送り続けているのであろうか。
 《森》と題されるこの奇妙な絵を描いた画家が、ベルギーのアンテイトに生を享けたのは一八九七年のこと、キリコやマグリットらシュルレアリストから強い影響を受け独自の世界観を形成していったデルヴォーは、常に女性、取り分け「裸の女性」を主題とし続けた。そして、その表現上の際立った特徴は、彼が描く女性はみな娼婦のごとく、駅や広場といった公の場にその姿態をさらけ出す者として描写される点にあるが、それでいて彼女達の欲望は、遂に成就するとは思われない。どの作品を見ても登場する不思議と似通った顔つきをした女性達、それは芸術家の夢の中に自閉する、永遠の未婚者なのである。
 従来までの論考において、こうした表現に心理学や精神分析を当てこみ、画家が抱いたであろう性倒錯や自己愛を指摘する記述は多く見出されるものの、しかし本会場では、それらの解釈とはやや別種の印象を受け取ることも出来た。展覧会名が明示するごとく、多様な作家の活動が、広く土地の持つ歴史性から綴られる時、そこには芸術を個人の資質にのみ還元する考え方とはやや異なった視野が開かれる。デルヴォーの表現にせよ、決して孤立したものではなく、ボスやルーベンス、ブリューゲル父子は勿論、フェリシアン・ロップスや、ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』に慕情を寄せたフェルナン・クノップフなど、誠に豊かなベルギー芸術の地平として鳥瞰されるならば、あの憂鬱な女性達のエロスに漂うどこか儚げな印象も、数多の戦乱の舞台となった領土に通底する死と苦難の影を、確かに負うものであったと解しうるのである。
 日常に疲弊し、思考の閉塞化が進んでいる状態というのは、存外自分では気づきにくい。それは自身が課す不可視の黥刑のごとく、自らが作り出した内向きの疎外に自身囚われているのと同様である。国家も人も、そのアイデンティティにあえて不真面目になるのは頂けないが、何につけあまりそう深刻に考えたものではない。
 かつての恋人との再会が映ずるとも「分析」される本作であるが、森の中の裸婦に見入りし現在の感覚を、ともかくのところ「夏に憑かれて」と片づけておく程度が、まずは穏当な処世といいえよう。
(刺青研究)







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