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評者◆谷岡雅樹
いい日、悪い日、いつの日か――佐々部清監督『八重子のハミング』
No.3303 ・ 2017年05月20日




■三月二三日に映画評論家の持永昌也が亡くなった。五五歳。
 「持永に会えよ」。うるさく言う親友がいた。「絶対に谷岡さんに“合う”からさ」。
 その親友が五〇歳を前に死に、親友を「偲ぶ会」で、持永に初めて会った。それから三年と経っていない。「物議をかもし浅慮で下品な映評も多かったが、嫌いな男ではなかった」と言われた親友同様に、持永も映画を愛するがゆえの罵倒の苦言を百万言持っていた。
 〈とことん迂闊で、でも愛に溢れ憎めない人だった〉〈めんどうな人だし、酔っぱらうとさらにめんどうで、だけど映画愛にあふれた人でした〉〈過激な言葉の裏に人間愛と映画愛が詰まっていた〉等々。愛などという言葉を超えた無念を感じる。
 谷岡はもう、日本映画の味方ではないし、応援団でも伴走者でもない。映画界への愛が無い。Vシネマに対してすらも無い。トバッチリの来ない外国映画ばかり書くな。会う人会う人にそう言われる。本当にそうか。親友よ。持永よ。答えてくれ。
 多くの日本人にとっての日本映画に対する本音は、ゴジラと二本のアニメ以外には、ほぼすべて、観てもしょうがない自主映画の集まりでしかない。まっとうな観客は、その批評からさえ、賢く距離をとる。確実に世間の外たることも知らず、大都市での一週か二週の単館上映に、監督とその「お友達」のゲストが連日総出演。そのお友達のお友達が劇場内を埋めての毎日毎日オール身内の学芸会と化して、内輪の大騒ぎを続けている。それが旧来の町興しという美名の下で、田舎者ややくざ者の芸能への憧れを逆手に取った映画芸能詐欺ならばまだ「生き延び方」として、分からないでもない。しかし、学芸会を報じるお友達の評論家一同による張りぼての高下駄履かせは、都市の田舎芝居チケットを売らされる劇団員や、ギャラなしチケットノルマの地下アイドルと代わらない映像労働者階級の自爆営業促進活動ではないか。仕事の拡大も創造をするわけでも無く、縮小再生産の中での見えない服の品評会。裸の王様の百鬼夜行。もう止めろ。表現しろよ。
佐々部清の新作『八重子のハミング』では歌が流れる。この歌は何だろう。主人公八重子がハミングする。不思議な歌だ。谷村新司の二曲だった。まずは『いい日旅立ち』。
 初めて聴いたのは山口百恵だった。国鉄キャンペーンソングとしてCMで繰り返し流れた。「日本のどこかに私を待ってる人がいる」という歌詞が最も強烈に響く。それはすなわち、幸せ薄い半生から、結婚相手となる男(三浦友和)が現れた幸せを噛み締めたフ
レーズに聴こえた。恋人を求めて旅する甘酸っぱい歌。
 しかしのち、作った本人谷村新司が歌ったときに、風景は一変した。
 当時私は、戦争、多分特攻隊か何か無惨な犬死をした兄を想う弟が、父から兄弟ともに聴かされた戦争讃歌を、同じように兄を失った弟たちが日本のどこかにいて、彼らに辿り着くことで、かろうじて死なずに生きていけるだろうという願いの歌だと思って聴いていた。つまりは、兄の犬死を総括できないでいる人間の甘えた凭れ掛かりソングなのだ、と。
 定期券の落とし物を届けるという行為には、落とした人間のマイナス(落ち度や失敗)を助けてあげる面がある故に感謝される点はあるけれど、車椅子の人に、段差の上の自販機からジュースを買ってあげる行為は、親切にすら値しないはずなのに、それをことさら特別なことのように言う俗識がある。見返りを期待しては無償ではなくなる。
 もう一曲の『昴 すばる』は、フランク・シナトラの『マイ・ウェイ』の如くに当時の
私にとって「笑死の対象」でしかなかった。右翼ソングの筆頭に持ち上げられるのは谷村にとってマイナス効果であろうが、持ち上げる連中を喜ばせ、期待に応える歌でもあった。
 しかしこれらは、八重子が好きだった歌なわけではない。谷村新司を好んでカーステレオで掛けていた夫の、その「好み」を覚えていて、アルツハイマーになってその「好み」を妻は口ずさむのだ。そこに、批判は無くとも、肯定から始まって突き進む終わりの悲劇が含まれている。含まれているけれども、そのことを誰が批判出来ようか。丸ごと受け入れて撮る監督がいる。監督もまた終わりの悲劇を引き受けている。
『八重子のハミング』を観てネットを開くと、いきなり「きれいごとのお粗末映画」というタイトルの記事が飛び込んできた。
 〈ご主人はガンで何度も入退院、奥様は五〇歳そこそこで若年性アルツハイマー。普通の一般家庭であれば当然家族崩壊、(中略)経済的にも困窮して親族や隣近所、遠い親戚にも金を無心せざるをえなくなり、「やさしさ」なんてとてもじゃないが存在しえません。(中略)色々な面で非常に恵まれている上に、実家が神社で税金ナシ、代々裕福なご家庭であればこその「やさしさ」です。私自身、一五年間親の介護をしましたが、「やさしさ」なんてとんでもない、毎日とにかく「早く死ね!」としか思っていませんでした。〉
 『五体不満足』がベストセラーとなって時代の寵児となった乙武洋匡は、「やさしい」家族と裕福な家庭、容姿の端麗さにも恵まれている。そしてメディア登場。「お前のように恵まれた障害者はいない」と叩かれ続けた。しかし、そこをどう乗り越えるかが本当の問題だ。境遇の良さが「逆作用として」シュリンクしては、強者多数派の思うつぼだ。裕福でも五体満足でないことは確かであり、恵まれた容姿や家庭でも「表現者」として不満足だったからこそ文字に記したはずである。「きれいごと」を超えた迫力をどう出していくかが大きな問題だ。
 病気でも事故でも、早いうちに人生が詰んだかのようなことが起きると、残りの人生が、いきなり余生の如くに立ち現われてきて、その期間が長いほどに厳しくきつい。顔の美しさや裕福な家庭などは、自らの努力で掴んだものが価値を増すのとは違って、逆に減じていく財産である。「やさしさ」は等しく力の必要なものなのだ。
 加えて、佐々部清は、またしても故郷山口県の映画である。肩入れしていないとは言えない。どこか割り引いて観る必要はないかとも考える。
 以上、「裕福」「同郷」「谷村新司」というキーワードは、ある種挑戦すべき壁であると映る。しかもお涙頂戴と言われても仕方のない題材だ。
 谷村新司は実のところ掴みにくい男だ。セイヤング「天才秀才バカ」という良い意味でのヲタク要素があり、体力に物を言わせたマッチョとは遠い。七〇年にニューヨークのシェイスタジアムで、谷村が彼女を誰とも知らずに、ジャニス・ジョプリンを観てしまうのは天の配剤なのか。「歌は無条件に理屈をふっ飛ばす」という谷村に、対談で相槌を打つ五木寛之。だが表現なるものがあるのならば、ふっ飛ばされない理屈が立ちふさがると私は考える。
 若年性アルツハイマーとなる八重子役は高橋洋子だ。高橋の小説に、ラスト、瞼を二重にする手術によって、自信を付けたかのように大きな振る舞いをし始める滑稽な男の描かれる作品がある。松田優作だろうとすぐに分かるが、その辛辣さは、暴露的要素は何もなくさらりと書いていることによる。その彼女が俳優引退生活の沈黙を破って現れた。ビリー・ジョエル『オネスティ』の歌詞にこうある。〈最近正直という言葉を聞かない。それほどに正直という意味が薄れてしまったのか。だけど正直でいたいと僕は馬鹿正直に思う〉。
 主演の升毅も、高橋洋子も、佐々部清も、マイナスを丸ごと肯定して、「ありがとう」という諸刃の言葉を自ら突き付けられながら、やさしさなど簡単ではないことを映画製作により体現している。
 谷村新司の歌が、八重子の好みかどうかは分からない。だけど、なぞるという行為それ自体が「夫が好きなら」何でもいいとも言える。核がやってくるという映画『風が吹くとき』で、必死で無駄な抵抗を試みる老いた夫に対して、老いた妻が最後に呟く。「もう良いのよ」。抵抗がパフォーマンスであっても、そのこと自体が有り難い。それで充分。
 『その後の仁義なき戦い』で、根津甚八を失った原田美枝子は、根津が生前に行っていた恐喝行為を、ラストに真似るところで終わる。ミイラ取りがミイラ取りに成るみたいだが、彼女は彼の人生をも生きるのだ。
 岡本喜八監督の妻みね子は、プロデューサーとして夫唱婦随のコンビだった。だが認知症となる。毎日介護する夫の喜八。自分のことが夫であることも分からなくなる。娘が或る日、母みね子に「最近恋をした」と打ち明けられる。「いつもいる知らない人、あの人だれなの。あの人が好きになった」。それが岡本喜八であった。
 作家の耕治人は、六〇歳を過ぎるまで売れず、ほとんど妻に支えられた人生だった。やっと活躍し始めたのは、妻の認知症を描いてからである。妻の存在がクローズアップされる。認知症介護の疲労ゆえ、甥がやってきて、妻を外に連れ出してくれた時、ホッとして「これで執筆に専念できる」と思う。ところが全く筆が進まない。〈むくろという言葉がふいに浮かんだ〉(『天井から降る哀しい音』)。
 妻の帰りが待ち遠しくてたまらないのだ。「この人がご主人ですよ」と言われて、認知症の妻が言う言葉「そうかもしれない」がそのままタイトルとなっている『そうかもしれない』では最後、妻のいる老人ホームに向かって病室で正座する耕治人がいる。現実の耕はガンで妻より先に亡くなってしまう。
 青春が遅れてしまったことを実感するためにあるように、病気もまた遅れていくことを現在進行形で実感する旅だ。青春が旅の途中に気付くことが無かっただけのことで、本作は終末期青春映画いちごではなく「柿白書」だ。
 団塊の世代が七五歳以上となる二〇二五年に、厚生労働省は、認知症の人が最大七三〇万人と発表している。認知症の一人暮らしが一四四万人になるとはNHKスペシャルだ。安全第一の日本映画にあって、佐々部清はこの難題に手を染めた。
 友が連日亡くなっているのに、老いを実感できない私がいる。旅立ちなど、しばらくのあいだ無いと希望してもいる。希望ほど儚いものは無い。ハミングしている私がいる。
(Vシネ批評)







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