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評者◆田辺秋守
映画の「語り」と「焦点化」――アルノー・デプレシャン監督『クリスマス・ストーリー』
No.2993 ・ 2010年12月11日




 この映画を見終わって、映画の「語り」についてなにか述べたくなるのはごく当然のことだろう。果たしてその言説がジェラール・ジュネットが開拓した文学の物語論の語彙でいいのかという疑問は、ここでは問わないことにしよう。ジュネットの語彙の不整合をあげつらうことは簡単だろうが、彼が物語の「語る」行為と出来事を知覚する登場人物の行為とを区別するために「焦点化」(focalization)という言葉を用いたのは正しかった。焦点化という言葉によって、「生活や行動がそこから見つめられる」登場人物の視点と、物語から距離を置いた「語り」(「語り手」)の位相が明確に区別できるからだ。『クリスマス・ストーリー』では焦点化と埋め込まれた「語り」の複雑な絡み合いを楽しむことができる。
 映画は全体としてみれば、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』ならぬ『真冬の夜の夢』として、妖精たちが集う祝祭的な空間を現出している。ラストで長女エリザベートが口にするのは小妖精パックのセリフだ(「もし私たちをお気に召さぬのなら、これは夢とお考えを。それですべてが元通り」)。登場人物はみな世俗的な人間世界から少し離れた無垢な妖精たちなのだという枠組みをまずデプレシャンは映画に与えている。役柄の多くは、例によって「デプレシャン組」が演じている。前作『キングス&クイーン』で加わったカトリーヌ・ドヌーブは、今回はジュノン(ジュピターの妻)という名を与えられていることからもわかるように家族の女神である。
 とはいえ、現実の物語の設定としては、映画は絶滅寸前のヨーロッパの古典的なブルジョワジーの家族団欒の姿をクリスマスの一夜に魔術的に甦らせようとして、おそらくは、図らずもその魔術が有効期限切れになっていることをよくとらえてしまっている。映画の魔術によって変身するのは、なんの変哲もない凡庸な街ルーベが、クリスマスの雪によって「おとぎの国」に変貌することだけだろう。
 家族全員にはなにがしかの音楽の素養がある。染め物工場を営む家父長は、始終ジャズのレコードを聴き、ときにチャールズ・ミンガスのスコアーを指で追う。あまつさえ、白血病に罹っていることが発覚した妻ジュノンの寿命をめぐってフィールズ賞を受賞している長女の婿と高等数学の計算式をやりとりする。また長女にニーチェの『道徳の系譜学』の私訳の一節を聞かせる。長女のエリザベート(アンヌ・コンシニ)は脚本家として成功している。三男のイヴァン(メルヴィル・プボー)はDJブースでスクラッチの腕を披露する。厄介者のアンリ(マチュー・アマルリック)さえ、酔った状態でピアノでバッハを弾く。彼ら全員がチェーンスモーカーで、ほとんどがアルコール依存なのをながめていると、大量にたばこを吸い、ワインをがぶ飲みすることが、フランス人に残された唯一の特権的な逃避であると暗に思ってさえいるかのようだ。
 しかし、この家族にはある深刻な喪失感があり、現在にいたるまで家族関係にずっと暗い影を落としてきたことがわかる。それは幼い長男ジョゼフの死だ。最初の「影絵芝居」のシークエンスでことの経緯が語られるのだが、ジョゼフは六歳の時に白血病で亡くなっている。結局ジョゼフは母親ジュノンの遺伝的因子を負っていたことが今になってわかるのである。
 さて、このブルジョワジーの大家族物語には、物語外的な語り手も、登場人物による包括的な語り手もいない。その意味では典型的な多元焦点化がなされている。次々に焦点化される登場人物のきわだった「語り」は、彼らがたびたびカメラに向けて直接話しかけることである。まず物語の導入役としてジュノンがこの家の由来をカメラに向けて語る。この親密な「語り」によって、観客は難なく物語に引き入れられる。
 次いで「デプレシャン組」のトリック・スターであるマチュー・アマルリック演ずるアンリがエリザベートへの手紙を読み上げるという体裁で、カメラに向かって話しかける。『キングス&クイーン』で死にゆく作家の父が日記文の告白として娘に対する呪詛を語っていたシーンと同様である。アンリは家族からの「追放」を画策した姉との確執に決着をつけるつもりだと、次第にクロースアップになってゆく怒気を含んだ目でうったえる。
 アンリを六年ぶりにクリスマスの家族の集いに導いたのは、エリザベートのひとり息子、十六歳のポールである。ポールは軽い精神疾患を患い、退院したばかりだ。彼の視点が焦点化されるときには、何度か統合失調症を思わせる分裂したヴィジョンを観客は経験する(黒い犬が家に住み着いている「狼」に見える、鏡のなかの自分が邪悪に笑うなど)。
 話は前後するが、エリザベートは映画の始まりの方で、そもそもなぜアンリを毛嫌いするのかを分析医に語っていた。対話を利用した通常の「語り」でエリザベートが心理的に焦点化される。彼女が語るのは現在のメランコリーの状態と、それが「喪の仕事」が不十分な形でしかなされてこなかったことに起因することの暗示である。まさにそれがアンリとの関係を悪化させ、ポールを病気へと追いやっていたことに観客は後から気づかされる。
 家族の集いにひとり闖入者としてやって来るアンリの恋人フォニア(エマニュエル・ドゥヴォス)の視点は面白い。最近のフランス思想は急激にカトリックへと回帰しているが(ジャン=リュック・ナンシー、アラン・バディウ)、どこかで通底していそうなフランス人のカトリックがえりを、ユダヤ教徒のフォニアの役回りによってデプレシャンは相対化することを忘れない。ジュノンとアンリとの間でかわされる「小さなユダヤ人」というジョークや、アンリとフォニアの間でささやかれるキリスト教徒の「生き血の儀式」という発言は、どきりとさせるものの、もはやフランスでは反ユダヤ主義はジョークのネタとしてしか使われないのだという、デプレシャンのひそかな意志のようなものを感じた。ジョークの「語り」が埋め込まれている状況全体は本当はもっと危ういものなので、それだけにジョークの効果は行為遂行的なものとして試されねばならないのだ。
 映画ではいささか古風な仕掛けであるアイリスが何度も用いられる。アイリス・インしたりアイリス・アウトしたりする視点は、素直に受け取れば、長男ジョゼフの視点であると感じられる。観客は知らず知らずのうちに幼くして死んだ死者の視座からこの映画を観ていることになる。デプレシャンは死者の気配をフレームのなかで演出するのではなく、観客に死者を主体化させることによって不在者の焦点化を成し遂げているのである。

※『クリスマス・ストーリー』は、恵比寿ガーデンシネマにて公開中、12月11日(土)梅田ガーデンシネマほか全国順次ロードショー。







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