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評者◆谷岡雅樹
悪たれアイデンティティ――イ・ヘジュン監督『22年目の記憶』
No.3382 ・ 2019年01月12日




■平成最後の年の正月から、暗い記事を書きたくはない。だが、日本の映画や映画人を話題にすると、どうしても陰鬱で不愉快な気分が支配する。
 たとえば毎年恒例、映画のベストテンなどに寄稿すると、私一人だけが浮いている。或いは、そういう人々の集まりなどに偶に出席してもまるで意見が合わない。などの理由から、不愉快なのは私だけのことであろうから、一個人の戯言として聴いてほしい。
 一二月一日映画の日に、「上映したらアカン映画なんかないんじゃ!『ガキ帝国・悪たれ戦争』上映拒否問題を考える」という決起集会のようなものが、渋谷のユーロライブで開催された。その主宰である月刊『シナリオ』に私も原稿を寄せており、客席に足を運ぶ。
 期待はしていなかったが、脚本家小川智子司会のもと、監督の井筒和幸ら五人の関係者による、時間をオーバーして本気モードで熱の入った討論と言ってよいものを私は感じた。
 そこで、「何か最後に客席からの意見はないか」というお決まりの付録が始まった。大抵が面白くない上に安いパフォーマンスがときに行われ、そこは目立ちたがり素人というか、お寒いファン代表みたいな奴が、無駄に蛇足を残していくのが通例だ。甲子園での高野連会長の大会講評の如き余興として、一応は聴いてから帰る。鬼っ子であれ、私は我慢強い。
 この日の余興は、何と『悪たれ戦争』に出演していた俳優の清水昭博であった。清水は客席から舞台に上り、大番狂わせを演じるのである。上映問題のテーマから大きく外れかつ勘違い丸出しの撮影裏話を、嬉々として始める。これまでの「イイ話」を一気にぶち壊しにする。平成最後の茶番劇であり、俳優の鑑の如きナイスな俺様語りでもあった。「清水さん、趣旨から外れないで」「テーマに沿ってください」。脚本家の何度かの忠告も聞かない。腕を振り上げ、我が世の春を満喫する。場内の苦笑とお愛想笑いとで、私も爆笑しそうになる。ガッハハハ。いや、この原稿まで持ち堪える。笑いごとじゃないよ。
 清水昭博と言っても、多くの人には、映画ファンであっても、おそらくほとんど知らない人物であろう。私の世代(六二年生まれ)にとっては、実は馴染みが深く、七〇年代青春物のコメディーリリーフ、三枚目おとぼけキャラとして、秋野太作や森川正太に次ぐ三番手ぐらいに位置した。しかしその後はフェードアウトし、忘れられた存在となる。「飛び出せ!青春」と「われら青春!」に学年をダブって連続出演した穂積ぺぺや、伝説となった直江喜一(「金八先生」の加藤優)、高野浩和(「スクール☆ウォーズ」のイソップ)などの一発屋要素もなかったために、その後も実は俳優としているのだが、「あの人は誰」的亡霊のような存在となる。柳生博や堀内正美などのように、他分野での活動が跳ね返ってくるタイプになりうる役者だろうと思って私は見ていた。
 ところが清水は九〇年代、Vシネマにおいて各社の作品に脇役で現れ、何とVシネマの帝王哀川翔の代表シリーズ『修羅がゆく』に登場するや、その続編シリーズ『修羅のみち』ではレギュラー入りして、敵役の一人として、哀川翔ののち壮絶に死んでいくのが二〇〇三年のことだ。久々の表舞台に気負いが出たのであろうか。
 今回の投壇は、甲子園出場ではないが、一五年ぶり三回目の晴れ舞台だったのかもしれぬ。空気を読めない頓珍漢ではない。身なりも体つきも顔も「売れ無さ加減」の漂ったそれではない。「笑っていいとも」の有吉佐和子とは違
う。なのに、何が清水昭博をそうさせているのか。何が一世一代のラストステージに駆り立てたのか。一流ではない役者が、別バージョン(司会や絵画、文筆、ボランティアなど)で一流の仕事をすると、一・五流になって戻ってくる。だが逆をやると、二・五流では済まない。
 清水中古車の暴走は、たった一人の勇気と能天気の行動であるが、実は見飽きた日本映画の日常光景、「訳の分らぬ不要なゲストが毎回登場する仲間内のお友達談義」の亜流である。面白くもない楽屋裏の話。業界の空気に悪乗りしてしまった。
 首相や都知事が、被災地に急造で作業服を着てヘリなどに乗って駆け付ける。この出で立ちが、まるで着こなせていない着せ替え人形で、現場経験のない二代目社長や、パソコンの使えないIT大臣みたいなものだ。形から入って形に終わる中身のない日本映画の鋳型。清水の討死は、お気楽な業界の縮図に過ぎない。コップの中の嵐。もっと外に向かって切羽詰まった問題として発する気がない。権利の問題は、労働の主導権をこちら側が握ることが出来るのかという喫緊の問題だ。それらを放棄して、沈んでいく泥船の上で、ニコニコとしている連中に巻き込まれた一人の役者。韓国映画を観て、泥船の乗客皆が、今そこにある危機と彼我の差に気づけよ、と書いて本題の『22年目の記憶』に移る。
 主演は、ソル・ギョング。力道山から殺人鬼までを演じる「カメレオン俳優」の異名を持つ。『シルミド』で、金日成暗殺部隊の隊長を演じたソルが、本作では、金日成を演じる売れない役者の役を演じる。韓国と北朝鮮の幻となった南北共同声明の知られざるエピソード。首脳会談のための予行演習として、無名の俳優の中からオーディションで選抜し、大統領の相手役である「金日成」の役を演じさせる。選ばれたのはソングン(ソル・ギョング)という大根役者で、息子は友人たちから、売れない俳優の父のことでバカにされる日々だ。代役として地上最高の演技を目指して、息子に、俳優の本領発揮を、己の存在を証明しようとする。その結果、洗脳されたが如くに、金日成そのものに成り切ってしまい、元の自分に戻れなくなった状態となる。「ウルトラQ」のカネゴンだ。楳図かずおの漫画『イアラ』にもあった。
 袴田事件はおそらくは、冤罪であろうという見方に私も賛成するが、だとしたら、獄中で、拘禁生活をされ続けた結果としての袴田巌当人の今の姿は悲劇としか言いようがない。自らを神と言い放ち、正常な人間の精神を破壊された姿がそこにあるとしか思えない言動をカメラの前で、少なくとも目にした限りではそう見える。『時計じかけのオレンジ』のアレックスや『仮面ライダー』の本郷猛の如く改造されている。
 人はどんな仕事でもやるものであろうか。家族のため、国のため、天皇のため、会社のため、人も殺せば、他人の改造だろうが、己の改造をも受け入れるものであろうか。
 成長した息子は、二二年後に父と再会する。まるで金日成そのものだ。いや、似て非なる、金日成に成り損ねたニセモノの別の化け物がそこにいる。
 私の親世代は、ギリギリ出征しているか、もしくは少なくとも、子供時代に戦争を、戦下の生活を経験している。その話をいくら聞かされても実感としては「無い」のが子供であり、世代間のどうしようもないズレがある。しかし、はたして東日本大震災であっても、経験した世代とそうでない世代との間で、これほどのズレがあるであろうか。日本においては、戦後は一度もこのギャップを経験してこなかったのではないか。
 しかし、韓国においては、こういった問題が、常に背中合わせで差し迫って生きてきた。
 国や軍の統制、規制、タブー。自らが忖度し、余興で目を逸らす国の映画とは違う。だからこそ、『シュリ』『シルミド』『タクシー運転手』と様々に心を捉えて離さない瞬間を魅せる。しかし実は、聞き取れない声が大文字の災害とは別に、日本にも広く深く点在している。
 NHK「ハートネットTV」を見ていたら、平成二九年間八〇万人の自殺総数の中で、抵抗運動を試みた四人の闘士たちが絞り出すような叫びを発していた。もしこれらの人々がいなければ、もっと多くの自殺者を生んでいる。その一方でなおパワハラを続ける鬼畜以下の人間たちが、今現在、あちこちの会社その他で、のうのうと笑顔で存在している。活動は、自死遺児たちの文集から勢いを増した。それまで親の自殺について語ることは、憚られていた。圧殺されていた。
 NPO法人ライフリンク代表清水康之は語る。「言えないことを言う。言ってはならないことを言う。非常に引き裂かれるような状況の中で、でもそこで腹を括って語ると決めたら、正々堂々とマスコミに対して声を出した。それは勇気というよりも、その後の人生がどうなるか分からないという中でも本気に覚悟を決めてやりだしたのを私も間近で見てましたので(絶句)、意地というか、彼らが踏み出した一歩を、その一歩だけに留めるのか、それとも社会としてそれをしっかりと引き継いでいくのかという球を、我々が投げられた。本当にド直球の、ド真ん中の球を彼らは投げてくれた」
 他人事ではなく、我がこととする人たちの広がりが案件であり悩みでもある。受け継いでいく者であるか否かを試されている。親と子の向き合い。経営者と労働者の対峙。死んだ者との絆。
 この映画での息子は父の世代の苦悩にほとんど思いを寄せない。そしてその彼女に至っては、さらに無関係に登場し展開する。だがラストは、その全く関係のない二人が、この先何一つ幸せと言えるほどの幸せの可能性の少ない、日本映画でなら、絶望でしかないようなラストがしかし希望にしか映らない。あの父親のことが、あの息子や彼女の人生に、少なくとも投影される。監督がそう思って作ったかは分からないが、二人の行く末に影響していることは確かであり、そのラストを悲劇と捉えて憐れんだり、滑稽と笑ったり、仕方のないこととしてつき放したりするのではなく、我がこととする作り手がいて、我がこととする観客が、あの国には存在するのである。だからと言って、韓国に移住したいとは思わないけれども、今のこの場所の居心地は悪い。ユーロライブのことではない。
 自らが、この国で動くしかない。
 隣国の球であっても受け取ることは出来る。
 そして、放る。
(Vシネ批評)







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