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評者◆稲賀繁美
ゴーギャンとルドンとラフカディオ・ハーンを繋ぐ見えない糸――ダリオ・ガンボーニ来日記念講演会+シンポジウムでの雑感
No.3272 ・ 2016年09月24日




■In the Kitchen of Paul Gauguin「ゴーギャンの台所で」と題する著作がある。日本語でも「どう料理してやろうか」には様々な暗喩がある。料理人は素材に生気を吹き込み、料理へと翔かす。研究者はその秘密を解明する。だが素材の「潜在性」は、ひとたび開示されれば、既にその潜在性を喪失している。それは不可逆的な過程である。ナマの野生を煮炊きするのが文明の作法だが、思えばゴーギャンの同時代人は野蛮と文明との界面を往来した。
 そのゴーギャンがタヒチで制作した最大の「陶磁の彫刻」が《オヴィリ》。タヒチ語で「野蛮人」を意味し、バルザックの両性具有「セラフィトゥス=セラフィータ」を受けた、trans‐sexualな「母」の像である。
 世紀末のフランスでは、日本陶磁でも黒田藩窯の高取焼が流行しており、批評家のフェネオンもゴーギャンの陶磁を論じる記事で言及している。口縁から垂れる釉薬をゴーギャンは生首から垂れる血に譬え、受難のキリストに模した自画像を壺に刻んでいる。そこには彫刻と陶藝との閾を跨ぎ越そうとする藝術家の意思も透視される。やや斜め向きの前面こそ彫像だが、背面には女陰を思わせる巨大な裂け目が口を開き、花瓶の前世を物語る。だがそれは火山の火口から溢れる溶岩流ではなかったか。
 非凡な陶磁器作家でもあったゴーギャンだが、近年再発見された器には、両腕を突き出し、上部が花弁状に開いた花瓶が知られる。本体下部からは仏陀の座像が表面に浮彫りとなって出現しつつある。タイのアユタヤでは仏陀そっくりの瘤を宿した樹木が祭られているが、そうした天然の偶成への信仰は、ゴーギャンもボロブドール彫刻から知悉していた。内部に空洞を宿し、実用性も失わないこの花瓶は、人知を超えた焔との共作でもある。画家が本作をオートイユで制作したのは、マルティニックからの帰国直後と推定される。
 そのマルティニックのサン・ピエールにゴーギャンはラフカディオ・ハーンと同時期に滞在している。ハーンこと小泉八雲は、カリブ海の島でアフリカ人奴隷の末裔から口承文藝を採取し、その後移住した日本では、最晩年に『怪談』を刊行する。野蛮な風物や迷信を文明の側に闖入させる試みは、ゴーギャンの創作にも通底する。欧米列強による植民地主義の先端をなす地域で、ふたりはともに藝術のクレオール化の実験に勤しんでいた。だがその舞台となったサン・ピエールの町は、1902年にはプレー火山の大噴火で全滅する。火山の焔への畏怖が、ゴーギャンの陶器やハーンの紀行文学の通奏低音、地霊の轟をなす。
 ゴーギャンは《死霊が見ている》他の作品で、タヒチの人々の信仰世界に跳梁する霊に親しく接していた。彼がマルケサスで死んだとの報に接した画家のオディロン・ルドンは、仏教の輪廻に夢を託す不思議な追悼文を残している。転生した魂が霊となって「出現」する。Apparitionはルドンの主たるモチーフのひとつだったが、その一つ目の怪物は、やがて水木しげるの目玉親爺へと変身を遂げるだろう。異界や死者たちとの交信は、野蛮と文明の狭間に、さまざまな変身譚をもたらし、今日に至るまで、我々の想像力に憑依して止まない。ゴーギャンとルドンの霊界探索は、小泉八雲の日本探訪とも無縁ではなかった。

*ダリオ・ガンボーニ来日記念講演会+シンポジウム「ゴーギャンとルドンに関する最新研究」(京都大学文学部、2016年7月30日)席上での筆者の即興のコメント。進行役の藤原貞朗ほか企画関係者の廣田治子、山上紀子および永井隆則の諸氏に御礼申し上げる。







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