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評者◆稲賀繁美
The Way is in the Passage rather than the Path.――『茶の本』はいかにポール・ケイラス訳『道徳経』の「道」を読み替えたか
No.3262 ・ 2016年07月09日




■英文著作『茶の本』(1906)でそのように述べる。この部分で岡倉はポール・ケイラスによる英訳『道徳経』(1898)の助けを得たと注記している。だが今日にいたるまで、どうやら誰ひとりとしてこのOpen Court版英訳と、岡倉の「引用」とを、きちんと読み比べてはこなかったようだ。
 両者を比べてみると、「道」の釈義をめぐって、岡倉はケイラス訳の語彙の多くを替えていることが判明する。ますケイラス訳を見よう。How calm[寂]it is! How incorporeal[寥]!(…) Its character is defined as Reason[道].When obliged to give a name, I call it Great[大]. The Great I call the Evasive[逝]. The Evasive I call the Distant[遠]. The Distant I call the Returning[反]. 対応する箇所の岡倉の原文は以下のとおり。How silent[寂]! How solitary[寥].(…) I do not know its name and so call it the path[道].With reluctance, I call it the Infinite[大]. Infinity is the Fleeting[逝], the Fleeting is the Vanishing[遠], the Vanishing is the Reverting[反]. 原文は『道徳経』第25章。ケイラスの訳本が岡倉に裨益したのは、そこに原文の漢字と語釈が列挙されていたからだ。
 岡倉の意図は明白だろう。Evasive[逝]はFleetingに、Distant[遠]はVanishingに、Returning[反]は Revertingに置換されている。ケイラス訳がいかにも直訳調だったのに対して、岡倉はより一貫性のあるイメージを一般読者に伝達しようと腐心している。Evasiveのように英語では否定的な含意は取り除き、より宇宙論的な次元を想起させる英語の語彙が選ばれる。Revertingは「原初の状態に戻る」の意味で、法律用語のreversionは遺産相続において死者の財産を現在の後継者が継承することの意。さらに当時の進化論生物学では「祖先の類型への回帰」すなわち先祖帰りatavismをつよく想起させる術語だった。こうした操作によって岡倉は、道教の「道」の思想を仏教的な輪廻転生にともなう生々流転へと、より近しいものと理解できるような下地を整えていた。それを受けたのが次節:
 《「道」とは「小径」というよりむしろ、「通過のうち」にある。それは宇宙的な変化の精髄the spirit of Cosmic Changeであり、それは自らのうえに回帰してreturn upon itselfあらたな形を生む、永遠の成長である。それはlike the dragon龍の如く自らのうえに蜷局を巻くrecoils upon itself(…)「道」とは偉大なる変遷the  Great Transitionとして語られよう》。
 ここで「偉大なる変遷」とはギリシア語でいうα  νアイオーン「大宇宙年」のことに他なるまい。それを見落とさなかったのが、岡倉の実子とすら噂された、パリ滞在中の九鬼周造だった。1928年ポンティニーでの九鬼の講演「東洋における時間の観念と時間上の反復」は、岡倉の「道」解釈の延長上で展開された、それ自体ひとつの輪廻転生Wiederkehrだった。
 その元をなすケイラスの『道徳経』に下訳を提供したのは、シカゴでケイラスの下に滞在中の貞太郎こと、将来の鈴木大拙。近代東西思想交流史はここから再考を要請される。ハイデガーもベンヤミンも、原典あるいはシュタインドルフによる独訳(1922)で、『茶の本』に触れ得た筈。UnterwegsやPassagenの隠れた一発想源がここに想定できることとなるからだ。

※2015年10月5日、ハイデルベルク大学「国境を越える神智学」席上での筆者の発言。







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