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評者◆稲賀繁美
武良家の人々にまつわる私的回想――死後の世界と揺蕩う魂
No.3246 ・ 2016年03月12日




■幼少の夏休み、昼下がりの思い出である。祖母の旧屋に近所の老夫妻が訪ねてきた。うちの次男坊も最近すこしばかし有名になって。そう切り出した老夫人は、当家の孫に些か絵心があると聞くと、それはよかったと、何冊かの漫画本を手向けてくれた。河童が踊り、人間に騙されて皿を取られる話。巌流島の決闘の後、旅籠につうが訪ねまいかと頻りに様子を窺ううちに、落ちてきた盆栽に直撃されておデコにコブをつくる武蔵。さらには鳥籠のなかに不可視の小人を養い、そこから「運」という家賃を得る少年の物語。そうした不思議な世界へと誘われていったのを、今も鮮明に覚えている。境港という山陰の漁師町での出来事だった。
 ローカル線の終着駅から砂浜まで、一本の道が東西に延び、両側に商店が連なっている。今では水木ロードと呼ばれるその道を隔てて、港のある北側の三崎町に武良家があり、道の南側の東雲町に我が家があった。祖母・きくのは武良家の亮一・琴枝と小学校の同級生という幼な馴染み。のちにNHKの朝のテレビ小説で竹下景子が演じたが、ハキハキとして気丈な琴枝さんの姿が、朧げな記憶の底から蘇ってきて、驚いた。丈はあるが痩せ気味の亮一さんは、夫人の半歩後ろに佇み、子供心にもおっとりとした風貌が伝わってきた。ラバウルで左腕を肩先から失った息子を故郷に迎え、「もうちっと長うなけないかんよ」と諭した、あの父上である。絵心があるなどと煽てられた小学校低学年の子供は、無理に気張って背伸びした絵を拵え、東京の次男坊殿のもとに送った。お礼に墨筆の色紙が到来した。その鬼太郎は、今なお広島の自宅を飾っている。1965年の出来事だったかと記憶する。
 先年、米国人の研究者、ジュディス・ラビノヴィッチ夫妻を伴って境港を再訪した。すると様々なことが判明した。現在の水木しげる記念館は、かつての生田屋割烹店。日本海の海運と漁獲で賑わっていた湊町でも一番の老舗であり、我が家の曾祖父もその生田家から土地を拝借していた。小泉八雲の松江時代に境小学校の校長を務めたこの曾祖父の足跡は、南畝と号した漢詩群に残存する。そこには、「懐武良君」も見付かった。誰の遺徳を偲ぶ詞藻かなお不詳だが、茂の曾祖父、惣平は境港で海運業を営んだ人物として知られている。
 境港は、島根半島を北に望み、太古、大山の麓を流れる日野川から運ばれた大量の土砂が形成した砂州の先端、境水道の手前に成立した。異様に長細く平坦なその弓ヶ浜にそって米子から境港へと延びる単線鉄道の途中には、一反木綿の駅もある。痩せた砂地での綿花栽培が布の妖怪の起源をなす。鬼太郎の羽織るチャ
ンチャンコも、その弓ヶ浜絣だったはず。名作「丸い輪の世界」は、死別した妹を冥界に訪ねる物語だが、その冥界の花園は、ほぼ同年配で従軍体験を共有する画家、近藤弘明の《寂光》の光景に通ずる。北米舶来の同時代漫画には、扉を開くと別世界に通ずる作品があった。それは水木の「丸い輪」のみならず、寺山修司や藤子不二雄らにも着想を提供し、60年代の幻想風景を形成したはずだ。
 その一方、目玉親父は、鶴見俊輔が激賞した岩明均の傑作『寄生獣』にも、変身を遂げて出現する。その『寄生獣』の発想源のひとつに水木の「宇宙虫」を想定しても、的外れではあるまい。そうした連想やイメージの融通無碍な揺曳ぶり、作品から作品への自在な換骨奪胎ぶり、intertextualityならぬinterpictorialityの生態学は、水木しげるが後世に残した遺産のひとつだろう。かたちはいかに姿をうつし、棲家をうつり、新たな生命を育みつつ憑依転生を重ねるのか。
 今頃水木サンの魂は、故郷に戻って妖怪たちに仲間入りしておられよう。何年後のことかは定かでないが、当方もこの世での「ネズミ男」的などっちつかずの恥ずべき生存からオサラバすれば、境港の隣の墓地に葬られる。妖怪同士の野球大会で「水木サン」にあいまみえるのが、なにやら今から、来世の愉しみとなってきた。







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