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評者◆稲賀繁美
和辻哲郎『倫理学』の現代的課題へむけて(中)――アントン・セヴィリアの博士論文『空の倫理学を世界の場へ――和辻哲郎の体系的倫理学の応用・限界・可能性』を起点に
No.3221 ・ 2015年09月05日




■(承前)「空の倫理学」は可能か。これがアントン・セヴィリアの博士論文の核心をなす。その仏教哲学解釈に宿る課題を以下、紙面の関係での舌足らずは承知のうえで列挙しておきたい。
 ①九鬼周造と和辻の関係は如何に? ここには木村泰賢の『原始仏教思想論』(1922)に和辻の博士号請求論文で異議を唱えた論争も絡まる。三島由紀夫も『豊饒の海』4部作中、『春の雪』と『暁の寺』の2カ所で明晰に説くとおり、無我説と輪廻転生とは両立しない。我の同一性が保障されなければ、魂の回帰を認証する根拠そのものが欠損するからだ。和辻はこれを根拠に輪廻転生思想は原始仏教には存在しえなかったはずだと主張した。伊藤邦武『九鬼周造と輪廻のメタフィジックス』も周到に示すとおり、九鬼が欧州滞在末期になした仏語での時間論の講演は、この論点をも犀利に摘出したうえで、クラインの壺に言及しつつ、輪廻転生の論理的可能性に説き及ぶ。九鬼は、谷底に落ちる巨岩を何度も山頂に運び上げる巨人シジフォスの神話にこそ、永遠回帰の変奏にして自由意思の倫理的根拠を探る。アルベール・カミュの『シジフォスの神話』にも九鬼の感化があったのでは、とする仮説は、複数の論者が説いている。和辻は京都帝大の同僚となる九鬼とこの話題を論じる機会を得なかったのだろうか。和辻の倫理が死者と生者との間柄に注目している以上、この論点はさらなるphilologicalな掘り下げを要請し、独自のphilosophyの展開を期待させる。
 ②仏教哲学と西洋哲学とを架橋しようとすると、必ず論理的な手続きの基本で合意が成立せず、有と無との優劣をめぐって、不毛な循環や潰し合いが発生する。セヴィリアの博士論文もこの轍に嵌って難航している。そもそも矛盾率と排中律とに基礎を据えるアリストテレスの論理学に依拠するかぎり、このアポリアからは脱出できまい。逆にそこから脱却すれば「非論理的」との烙印を蒙り「哲学」の市民権を剥奪される。この難問に正面から挑んだのが晩年の山内得立だった。木岡伸夫の『〈あいだ〉を開く:レンマの地平』が簡潔に述べるように、ロゴスを内包するテトラ・レンマの論理形式、単純に言えばAと非Aとの共存の水準を受け入れる融通無碍な論理――それを山内は『随眠の哲学』で「即非の論理」として展開する。ここにはAと非Aとの弁証法的統合という発想を代替する可能性が示されている。論述上の手続きとして、「即非の論理」はセヴィリアの立論
にも有効だろう。
 ③ここからは必然的に、従来の西洋哲学の手法を墨守した文献学的束縛からは逸脱する立論となる。いきなり「有=存在」と「無」あるいは「空」を大上段に対置させて、対話不能な硬直に陥る愚を避け、東西交流の具体的な接点、M・L・プラートの言う「接触圏」に発生する個別事例の相互浸透の検討から、あらたな倫理的可能性を探るべきだろう。例えば晩年の西谷啓治は「無」nothingnessを「空」emptinessに置き換える試論を残す。これには出口康夫に見事な創造的読解の試みがある。勝義のemptinessは漢語の諦義では蒼天の虚空skyをも指し示すからだ。サンスクリットから漢語への置換の行程で、原語には不在だった観念連合が生成を遂げる。諦義をことさら排除しようとするのが、形而上学特有の「勝義」志向だが、むしろそこで抑圧されたものの復権が要請される。こうした思想の翻訳にともなう変貌、あるいは翻訳による思惟の揺らぎに対して、なぜか従来の哲学は頑ななまでに不感症を装ってきた。だが長谷川三千子も『日本語の哲学』で臆せず主張するように、和辻の潜在的可能性のひとつは、概念翻訳による飛翔のうちに宿っていたはずだ。
〓〓つづく







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