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評者◆稲賀繁美
和辻哲郎『倫理学』の現代的課題へむけて(上) アントン・セヴィリアの博士論文『空の倫理学を世界の場へ――和辻哲郎の体系的倫理学の応用・限界・可能性』を起点に
No.3220 ・ 2015年08月29日




■フィリピンの首都マニラの大学で倫理学を説くと、和辻哲郎『倫理学』は学生に思わぬ人気を博するのだという。なぜだろうか。言うまでもなく、欧米系の倫理学は神に対峙する個の人倫に基礎を据える。だがフィリピン社会は農村共同体に基礎を置く。人間関係に着目し、そこに人間学の基礎を見据え、「間柄」から社会の成り立ちに言い及ぶ和辻の論理展開はこうした農村共同体の実情に、より適している。この観察を立脚点に和辻倫理学の現代的な意義を問い直す。そこにアントン・セヴィリアによる博士論文の志向があった。
 その一方、セヴィリアは日本留学を決心する前後で、ナオキ・サカイによる徹底した和辻批判に接した。日本で権威をなした全体主義哲学者の悪しき代表として、和辻を完膚なきまでに糾弾する酒井の立場は、この20年ほどの北米における日本批判を代弁する。喪失に瀕する農村共同体を賛美する和辻と、京都学派を日本の海外侵略の思想的後ろ盾と看做す批判と。正面から衝突する和辻評価の狭間で、いかなる新たな和辻像の構築が目指しえたのか。
 この妥協を許さぬ評価の対立には、私見では判断尺度のスパンの違いが反映している。得てして和辻倫理学は、社会的な叛逆の意義を否定しており、全体主義的だ、と唯物主義陣営より攻撃される。とはいえ、和辻倫理学は日中戦争初期の上巻から第二次大戦下の中巻、敗戦後刊行の下巻という拡がりをもって展開した。「上巻」発刊は2・26事件の翌年の1937年。左翼弾圧への同調以上に、「皇道」を唱える叛逆の暴走が如実に感知される緊迫した時局を無視できまい。対米戦時下刊行の中巻は、個を国家に還元する傾向が顕著だとして、戦争協力の名で弾劾されがちだ。だが学説史的にみれば、東京帝大の先行世代による国民道徳論からの脱皮を図り、しかしまだ未成熟な国民意識の涵養に努めることが、和辻人間学の歴史的使命ではなかったか。和辻は近衛内閣に接近し、木戸幸一の周辺で対米戦争回避を模索し、戦争末期には思想懇談会に加わり終戦秘密工作にも関与した。戦時下の和辻は、平田篤胤の系に連なる山田孝雄の神道解釈を正面から攻撃し、激怒した蓑田胸喜は「国賊和辻を葬れ」と檄を飛ばした。だが酒井直樹『翻訳と主体性』の和辻論は、
これらの史実には一顧だにせず、黙殺する。他方、熊野純彦はこうした国粋極右からの攻撃が思わぬ免罪符となり、そのお蔭で和辻は「命拾い」して戦後に復権したと解釈する。
 私見では、和辻倫理学を全体主義の汚名により断罪する思想史的解釈は、合切袋、為にする議論たるを免れまい。侵略戦争に公然と反対し、思想犯として獄死した哲学者だけを英雄視する史観は、後知恵の正義により歴史を合理化する。だが和辻を悪しき時代精神の具現に仕立てあげるなら、却って和辻の偶像化に手を貸す結果となる。むしろ面妖なのは、和辻の「間柄」論が、滞欧期に現地の哲学者たちとの対話を回避した和辻の引っ込み思案と癒着している点ではないか。一神教の裏に潜む底なしの虚無と孤独の怖れからの逃避が、帰国後の和辻をして日本仏教的な「和」の「風土」への母胎回帰を促したように見える。
 セヴィリアの博士論文は、こうした和辻の実存の文脈再構成には拘泥せず、現代英米哲学の問題構成のなかで和辻の可能性と限界とを摘出する。次回はその点に踏み込みたい。
つづく







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