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評者◆神山睦美
笠井潔の著作にみえる「近親憎悪」への秀逸な視点
No.2972 ・ 2010年07月03日




 笠井潔の『例外社会』は、二一世紀の最初の一〇年を代表するような思想評論書ではないかと思われるのですが、残念ながら、そのことは、ごく少数にしか認知されていないように見えます。笠井さんといえば、一般的には名探偵矢吹駆を生み出した探偵小説作家として知られています。ミステリー評論の分野でも第一人者といっていいでしょう。しかし、笠井さんが八〇年代に世に問うた『テロルの現象学』、九〇年代の『国家民営化論』といった思想評論書が、『例外社会』と同様それぞれの時代を象徴するような問題を投げかけていることを、正当に評価する向きはそれほど多くないといえます。
 自分の事で言えば、六〇年代から七〇年代に現れた土着状況論的評論書の類にどっぷりとつかった後、何とかそこから距離をとらなければと思い、八〇年代になって漱石や鴎外や二葉亭といった明治の作家と向き合うことを心がけました。その頃に出会ったのが、笠井さんの『テロルの現象学』でした。そこには日本的なナショナリズムとはまったく異なった、ある意味バタ臭いような思想表現が認められました。笠井さんという人は、六〇年代ラディカリズムを内側から潜って来た人なので、そのような思想のスタンスを取るには相応の理由があったにちがいありません。連合赤軍事件や三島事件を観念のテロリズムといった面から分析するこの本の独創性に、そのあたりの事情が映し出されているといっていいでしょう。
 といって、その独特な分析や展開に眼を見張る思いがしたものの、モチーフそのものについては、なかなか理解するにはいたらなかったというのが正直なところでした。「自己観念-共同観念-集合観念-党派観念」というカテゴリーで、人間が生み出した観念の諸相を総括する手法は、たいへん斬新なものに見えたのですが、国家や権力の問題を、吉本さんの『共同幻想論』や埴谷雄高の『幻視のなかの政治』を通して考えていた身には、笠井さんの観念生成論は、それらと微妙にずれたところで発想されているように思われたのです。もちろん吉本さんの思想的な影響は、笠井さんにおいても人後に落ちません。しかし、その影響は『共同幻想論』以前の『マチウ書試論』に尽きるといっていいので、その代わり、そこで展開された原始キリスト教についての分析を笠井さんほど本質的にとらえ、みずからの思想の糧とした者はいないのではないかと思われます。なかでも「近親憎悪」についての視点には、他の追随を許さないものがあります。
 笠井さんによれば、原始キリスト教のユダヤ教に対する攻撃は、共同観念に対する自己観念のラディカルな離脱を象徴するものということになります。言うところを敷衍してみましょう。「マタイによる福音書」に語られたパリサイ派に対するイエスの抗争と不服従には、体制的秩序に対する反逆ということでは律することのできないものがこめられている。政治や革命のなかでどのようにして観念の矛盾や齟齬が生じ、そこにいかにして社会倫理を無化するような観念のテロリズムがあらわれるかを象徴的に現しているのが、イエスの姿勢にほかならないからです。
(文芸批評)
――つづく







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