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評者◆稲賀繁美
「夢」を巡る語彙のたゆたいを――夢想の方法論的反省にむけた覚書(上)
No.3209 ・ 2015年06月06日




■“I have a dream.”M.L.キング牧師の言葉として有名だが、ここでdreamとは「将来に実現されるべき夢」を指す。いささか驚くべきことに、日本最大の『日本国語大辞典』を見ても、このdreamの意味での「夢」の用例は、1900年以降のものしか採録がされていない。それもわざわざ太宰治『人間失格』(1948)が引かれている。これは何を意味するのか?
 冒頭の英語は聖書という文化的背景を暗示する。実際「将来への夢」には、理想世界の実現というキリスト教の終末論eschatologyが透けて見える。旧約聖書に戻るならば、「visionなき民は滅ぶ」と英訳できる語句も想起されよう。visionとは神による啓示としての「将来の夢」を指す。どうやらこの国只今の国語学や国語辞書の世界は、こうした聖書翻訳学の領分とは没交渉に陥っているようだ。
 そこまで確かめれば、逆に太宰治の用例の特異性も見えてくる。『人間失格』はいわゆる日本流の私小説というより、むしろ基督教世界の告解文学とみたほうが妥当しよう。『晩年』冒頭の「選ばれてあることの恍惚と不安ふたつ我にあり」はヴェルレーヌの翻案。「生まれてごめんなさい」も、ヴァレリーの「善をなす場合には、いつも詫びながらしなければならない」の応用だった。太宰の心象世界は、実際にはフランス仕込みのカトリック信仰における罪の意識を日本の土壌に巧みに移植したものであり、そこで「将来の夢」は、実現不可能な否定の徴を帯びて析出した。
 ロイヤル・タイラー訳の『源氏物語』明石の巻には、「おもかげ」という言葉が三度登場する。そのうち二度はvision、一度はimageと訳されているという(荒木浩)。「おもかげ」とはおおよそ、その場にはもはや不在だが、その気配が想起されるという現象を指す。『万葉集』での同様の幾多の用例は、上代文学研究者、西郷信綱『古代人と夢』も説くとおり。だがそもそも「面影」という言葉は、西郷の師匠筋にもあたる幻視者・折口信夫が「國文学の発生」で注目した語彙だったはずだ。その折口に感化を受けた古生物研究者・解剖学者に三木成夫が居る。三木はクラーゲス経由で折口の「おもかげ」をゲーテの原像Urbildと結びつけ、個体発生の胚の成長過程のうちに、古生物から現世生物に至る進化の歴史が「おもかげ」として投影されている――という魅力的な「夢想」を紡いでみせる。数億年の生物進化の歴史的身体記憶が、ちっぽけな胚発生のうちに圧縮されて発現するというのである。
(続く)






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