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評者◆稲賀繁美
日本文化の海外交信前線基地――パリのジュンク堂書店 書店の現在を考える(4)
No.3131 ・ 2013年10月19日




■仕事でパリに一ヶ月ほど滞在した。なんでも日本の建築について四回ほど講義をせよ、との要請である。受入れ先は国立高等研究院。入り組んだ歴史的経緯ゆえ、立地も構造も法外に複雑なのだが、カルディナル・ルモワーヌ街の丘の中腹、ローマ時代のパリの城門を跨ぐ石造りの厳つい建物は、元来は国立理工科学校の敷地に属する。ビザンティン、インド、中国などと並んで日本研究所も同居しており、中庭越しにはかつてレヴィ=ストロース愛用の書斎、講義室上層にはコレージュ・ド・フランスの同僚で日本研究部門を創設した故ベルナール・フランクの半円形の執務室が位置している。三階の日本図書室にも、研究者の営々たる努力で、手狭ながら高質な蔵書が築かれてきた。とはいえあくまで古典文献学が中心で、藝術・建築などはいかにも手薄だった。
 宿舎には国立師範学校すぐ前の宿泊施設を宛がわれた。管理人はチュニジア出身で歴史学の博士号をもつ、聡明寛容なるインテリ男性。話してみると目下、村上春樹の『1Q84』に嵌ってしまい、アオマメはどうなるのかと気になって、奥さんとの会話もままならぬ毎日という。冒頭のヤナーチェクは効果的だとか、テンゴは市川の出身で、作者よりは若いが自伝的要素もあるだろう、などと会話が弾む。マグレブ出身の彼からみると、登場人物の会話が受け答えになっていないのに、見事に噛み合って進行してゆく。その様が実に不思議だという。小津映画の並行視線と同じですね、と合いの手を入れてみる。だが実は当方、恥ずかしながら、話題のこの小説をきちんと読んではいなかった。昨今の日本国内ではそれでも構うまいが、一度外国に出ると、そうは問屋が卸さない。現地知識人の関心に即答できなくては、これはもう「人間失格」(太宰治)である。
 こんな時、現地の信頼できる書店に救われる。早々にゲイ・リュサック街から21番のバスに乗る。セーヌ川の対岸、地下鉄ピラミッド駅近く、ルーヴルと旧オペラ座とに挟まれた界隈で下車。サン・タンヌ街は、今ではすっかり日本料理店横丁となった。嘗てそこに東京銀行と軒を接していたジュンク堂書店は、ずいぶん前に引っ越して、現在はオペラ通りの西側に店を構える。これまた恥ずべきことに、こちらの店舗にお邪魔したのは、今回が初めて。だが店内に入るや否や、卒倒した。何たる充実ぶりか。
 この数ヶ月、多忙にかまけて書店の新刊書の棚など見る暇がなかった。その時差が目前で瞬時に収縮してゆく。現地駐在員ご家族むけ教育医療関係図書は無論、雑誌や漫画も含めて、日本只今の精髄が見事に集約整理され、縮図を描いている。地下には和風文房具にゲームソフト。顧客は日本人には限定されない。文庫本の大山脈の横には、日本文藝仏語訳や仏語日本紹介書のみならず、お堅く浩瀚な仏語日本研究学術書まで、堂々たる布陣でずらりと居並ぶ。当方未確認の最新成果が、何冊も目に入る。
 呆然自失である。何を隠そう、筆者は海外で出版された日本研究文献の悉皆収集を設立主旨として発足した(元)国立の「国策」研究機関に勤務している。その分際にして、近年の学術情報にまったく通じていなかった。この恐るべき事実が、ジュンク堂書店に入って2分足らずで、一挙に露呈してしまった。職業柄、由々しき事態である。奉職先の図書室には、新着図書に充てる展示スペースが足りず、最新の定期刊行物陳列棚も、閲覧室ではなく、長らく最上階の書庫に押しやられてきた。これは将来禍根を残すと常々言挙げしてきたのだが、その積年の付けが、旅先で無残にも暴露された。やんぬるかな。
 ちなみにエレーヌ・モリタによる『1Q84』は、見事な名訳。日本語とどれほど印象が違うか。その衝撃が楽しみなので、原作を繙くのは、実はまだ暫し禁じ手にしている。七月には国際比較文学会世界大会。巴里淳久堂で購入した五冊の文庫版は、ふたたび旅行鞄に納まって、パリに向かう。かれらはそこで、八十日間世界一周を成就する。
(パリにて、2013年6月記)







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