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評者◆稲賀繁美
名画《不忍池図》の不穏なる絵解き――今橋理子著『秋田蘭画の近代――小田野直武『不忍池図』を読む』を読む
No.2923 ・ 2009年06月27日




 小田野直武といわれてピンとくる読者は少ないだろう。杉田玄白や前野良沢が苦心惨澹の末に翻訳した『解体新書』の扉絵や挿絵を担当した秋田藩士だ。平賀源内とも交友があり、司馬江漢に洋風画を伝授した直武は、その短い生涯最大の傑作として『不忍池図』を残した。一九四八年に発見されたこの名画は、「秋田蘭画」を代表し、六八年には重要文化財に指定された。だがそれは不可解な絵だ。
 画面には遠景遥かに弁天島を浮かべた不忍池が拡がり、手前の岸辺には芍薬の鉢植えが見える。植物の葉には蟻まで細密に描写され、遠景との対比は、尋常一様でない。動きを止めた一見静謐な佇まいには、写実を超えた夢幻性が漂う。
 大学の授業でこの作品に魅了された著者・今橋理子氏は、爾来徳川時代の花鳥画や動物画について、倦むことなく大著を紡いできた。それらはすでに『江戸の花鳥画』『江戸絵画と文学』『江戸の動物画』三部作に集結している。そこでは手抜きない史料の博捜と綿密な考証とが、意想外の謎解きへと結実する。定評あるこの妙技が、今回は『不忍池図』読解に、遺憾なく発揮された。
 『ひらがな日本美術史』で橋本治は不忍池と芍薬の「へん」な取り合わせに「秋田蘭画の謎」を見た。直武に洋風画習得を促した藩主・曙山は自著『画法綱領』で、洋画には「遠近の理」のあることを説く。
 だがその遠=近の誇張は、なぜ不忍池を舞台に演じられたのか。著者は直武の画室が池之端に実在した可能性に迫り、不忍池の背後に中国・江南の西湖を二重写しに捉え、この文学的トポスを梃子に、芍薬の花の裏に「西宮秋愁図」の美人を透視する。
 「立てば芍薬、座れば牡丹」ではないが、広重の『名所江戸百景』中の一点には、牡丹を生けた室内が描かれ、窓の外には真崎辺より水神の森が臨まれる。当日、階下は初午詣の祭礼の往来で喧騒かまびすしかったはずだが、画面は森閑としている。だが円窓ごしに見える梅と筑波山とは、室内で男女の駆け引きが進んでいることを示唆する、密かなる暗号だった。
 そこから逆照射すればどうだろう。『不忍池図』もまた、性愛の暗喩を人知れず封印した判じ絵ではなかったか。不可視の円窓を設定する著者の卓抜なる推理の妙を辿る愉悦は、読者各位に委ねよう。近代の黎明を告げる一幅に潜む武士道の真実。その絵解きには戦慄を禁じ得ない。(東京大学出版会、六五〇〇円)
(国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授)







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