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評者◆稲賀繁美
〈内部〉はいかにして形成されるか:生命の起源から魂の温床へ――福岡伸一『生物と無生物のあいだ』とジル・ドゥルーズの『襞』との接触面を探る
No.2886 ・ 2008年09月20日




 はやくも刊行1年を迎えた福岡伸一『生物と無生物のあいだ』が、読書界の話題を攫っている。肝心の「生物と無生物のあいだ」が論じられないまま終わってしまう、といった批判もあるが、どうだろう。膜形成のメカニズムの図(229頁)に、虚実皮膜論ではないが、まさに生物と無生物との境界が描かれているはずだ。
 膜を形成するリン脂質がぶら下げているGP2というタンパク質に注目しよう。GP2は跳び箱形をしていて、それらが酸化することにより、集合して相互に結合し始めると、おのずと球面状に落ち窪んだ凹曲面を描き始める。こうして、平面だった膜には球形の陥没が形成される。膜の下側に成長する小胞は、やがて閉じた球となって、内部に取り込まれる。外部が内部へと隔離・転換されるそのメカニズムを、福岡は心憎いばかりの比喩を使って、わかりやすく語っている。
 この図解をみていて、どこかでよく似た絵に出会った記憶が蘇った。フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズがライプニッツを論じた『襞』(1988)執筆に先立ち、『フーコー』(1986)の最後近くに描いた「フーコーのダイアグラム」と呼ばれる図式だ。表皮が襞をなして潜り込んだ部分が、福岡の説明する小胞に相当する。こうして外部との臨界面だったはずの膜は、小胞の内壁に入れ替わる。まさに「内なる外」が、外とは隔離されて形成され、取り込まれる。生物が無生物から自らを隔てようとする最初の機構が、外を内に取り込むこの運動と無縁でないことは、明らかだろう。否むしろ、こうして外部を内部に取り込む機構を手がかりにして、生命という現象が稼働し始める、といったほうが、より正確だろうか。
 ドゥルーズは、この「内化された外」部分を「主体化の帯域」zone de subjectivationと呼ぶ。思えば受精卵の外胚葉も、同様に溝を作り、外側の壁を内側に取り込み、そこから脊椎と脳に相当する部分が形成される。脳とはそのかぎりで、解剖学的にみれば、内部に取り込まれた皮膚のなれの果てにほかならない。とすれば、意識の主体なるものもまた、外を内に取り込む膜形成の原理を、異なった水準で繰り返すことによって誕生することになる。
 蛋白質水準の議論と、哲学的な比喩とを、ただちに同一視するのは危険だろう。とはいえ、ここには、ドゥルーズが別の著作で問うた『差異と反復』の生物学的な裏打ちが見いだされることになる。『意味の論理学』以来の著作で、ドゥルーズは魂と呼ばれる内面は、実際には外界と接する皮膚において発現し、それが内部の襞となることで精神を宿す、と述べていた。荒唐無稽ともみえたこの説は、実際には無機物から生物への移行を司る膜形成のメカニズムをなぞり描きするかのような軌跡を見せていたことになる。
 福岡の書で印象的なのは、挿話のように語られる、ニューヨークとボストンの都市生態の違いだろう。マンハッタンの一枚岩のうえに築かれた人工都市では、人々の生活も地下の岩盤の振動と共振する。ボストンに移って、著者はふと気付く。ニューイングランドの古都にあっては、ニューヨークを律していた、あの不可視の振動が不在だ、ということを。神経が外部に直接晒される環境から、内部に隔離された研究環境への移行。ここには福岡が本書を通じて描いた膜形成の過程が、著者の北米体験として反復されている。
*福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、2007。
Gilles Deleuze,Foucault,Les editions de Minuit,1986;ドゥルーズ・宇野邦一訳『フーコー』河出書房新社、1986。








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