書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
文学
命題と物語の合一性で成功/失敗の線上に存する問題作
書籍・作品名 : 誘惑者
著者・制作者名 : 高橋たか子 小学館版 2019年  
三好常雄(すすむA)   61才   男性   





本書は命題と物語の合一性に関して、成功作/失敗作の線上に位置する作品といえる。刺激的な実験作だ。

テーマ自体はそれほど深淵なものではない。「この世の支配者は神であるか、悪魔であるか」と言う二項対立を描く。

舞台は戦後間もない昭和25年の春。登場人物は京都の女專を卒業した20~21歳の三人の女性だ。鳥居哲代は京大文学部心理学科2回生。砂川宮子は女專卒業後、進学も帰郷もせずに下宿に留まっている。織田薫は同志社大学文学部英文学科2回生。三人とも生きる気力を失っている。「皇国乙女」にとって敗戦は「目覚め」の筈だったが、彼女らの目覚めは「開放」を意味するどころか、新たな「閉塞」を生み出しただけだった。それは戦争中も眠りこけていた京都という特殊な風土のためかもしれないし、三人の女性の「階級的感受性」つまり上層中流階級が敗戦で感じた没落意識、に強く影響されているためかもしれない。作家はそういうことに触れない。

鳥居哲代は両親を早くに失い、家業の呉服商を継いだ伯父夫婦に養われている。遺産の目減りには関心がなく、最大の関心事は「死の構造」の解明である。「自分の中の自分にとっての不可知な命」とは何かという形而上的難問に答えを見いだせないでいる。それが未解決である限り、自分自身を定義できない。その解決の補助線として、哲代は悪魔を呼び出すことになる。

砂川宮子は地方の素封家の一人娘で「死願望」の持ち主だ。父親の死後、精神衰弱的兆候を募らせている母親は、自分の病気治療のために宮子に医師を娶せようと図っている。家父長的な家庭でお嬢様育ちの彼女ははっきりと縁談を断ることが出来ない。彼女は哲代に漠然とした「死にたい」思いを訴え、黙って話を聞いて貰っているうちに死願望が形を成してゆく。「死の構造」を探求する哲代は宮子を思い止まらせる動機を持たない。

織田薫は五百年の血脈を誇る旧家の出だ。名家にありがちな近親婚の繰り返しは、一族の「血の汚れ」として伝承されている。薫は鋭い感受性と支配欲に富み、男がいる時の幸せの絶頂から男を失った時の絶望の奈落に至る道を繰り返す女性だ。二度も睡眠薬自殺を計っている。ショーペンハウエルの命題「この世は眠り、死によって本当の命が開かれる」を信奉し、現世は「空の空の空」に尽きるという。唯一の恐れは「死への閾」を乗り越えられるかだ。未遂で目覚めた時の空しさには二度と耐えられない。

さて哲代は宮子から自殺行の同伴を請われ、伊豆大島の三原山に行くことになる。宮子は、一旦は決意したものの死を前にして怯える。止めてもらいたい。しかしその役割を担う哲代は「死の構造」の解明に夢中で宮子が発する信号を読めない。引くに引けなくなった宮子は「私ね、あなたのために死ぬのよ」と言い残して火口に身を投げる。「死の構造」は解明されない。

この経験で哲代は自分の中に存在する「魔性」に気付く。帰り道、悪魔学の権威松澤龍介宅を訪れ、龍介から肝試しとして、上腕の内側にパイプの火を押し付けられる。苦痛と歓喜が混合した疑似的性交の絶頂を体で知覚する。

ほどなく哲代は宮子の「失踪」に気付いた薫に告白させられ、またもや薫の自殺行に付き合うことになる。マルクスが言う「二度目は喜劇」だ。

薫は宮子とたどった道程を寸分たがわず辿るように哲代に命じ、一度目に迷った道にまで入り込む。宮子のように確実に死ぬための儀式である。薫は初めて「千年都市」京都とは異次元の破壊され尽くした首都を見る。この世の「空」と、あの世での「真の目覚め」を確かに予兆したに違いない。

二人は予定された時刻に火口に立つ。小説の核心だ。哲代は言う。この世に「存在するのが悪魔であり、存在しないのが神だ。悪魔が神のアンチテーゼでなくて、神が悪魔のアンチテーゼなのだ。悪魔が存在するからこそ、神の観念と言うものが希求される」と。人間はながい歴史の中で常に悪魔に翻弄されつつ存在しない神を切望し、常に裏切られてきた、と納得させられる場面。

崖っぷちで、薫は哲代に背中を押してくれと頼み、「火口のなかはぱあっと明るい」と呪文を唱える。火口まで真直ぐに落ち一瞬で燃え尽きると信じているのだ。哲代は三原山の火口に火などなく、自殺者は途中の棚段に引っかかって、緩慢な死を迎えることになることを知っていながら、それを言えず復唱する。哲代の唯一の俗世への妥協。 

哲代は行動を見ていた大学生によって大島警察署に通知され、自殺幇助で逮捕されるだろう。だが哲代はこの先自殺することはないだろう。死後も悪魔に支配されるのでは、この世にいるのと変わりない。これが哲代の求め続けた「死の構想」だ。

高橋たか子は多くの小説が免罪符のように提示する「かすかな希望」への駄作的な欺瞞を完膚なきまでに打ち砕いた。






サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約